久米島に次いで、伊豆高原の旅にも「狂うひと」を携えて行き読み継いだ。今回は、「第8章 精神病棟にて」を読了した。この700頁近い大著をもっていくのはかなりの重さだ。だが持っていきたかった。重い暗い辛い本である。島尾敏雄というひとは「ここまでして書かなくてはならなかったのか?」、また「島尾ミホさんは、ここまで怒るほど純粋なひとだったのか?」、「愛とはなんなのか?」、「男と女が交わることは愛なのか?」、「生物としての男は女を求め、動物としての女は強い生命力の男を求めるのではないのか?」、等々を思ってしまう。それにしても恐ろしい生きざまであり怖ろしく生きた二人の作家であることか。梯さんのこの本を読んでから、肝心の『死の棘』を読んでみる積もりだ。
第8章はミホさんが慶応病院神経科、そして国府台病院精神かの閉鎖病棟に敏雄が付き添い入院したころのことが書かれている。『死の棘』に書かれているような夫婦の修羅場が現実に起こったとしたら、さっさと離婚するか、多くあるのはどちか一方が相手を殺すかあるいは無理心中であろう。子どもを含めての親子心中もあリうる。現実に悲惨なまた凄惨な事件は起こっている。それが現実に起こらなかったのは、島尾敏雄の文学の力であるのだろう。あるいは梯さんの本にもあるが、島尾は『死の棘』をかく素材を得るために浮気のことを記した日記をわざとミホに見せたのかもしれない。またミホはミホとて狂っていく自らに身を任せたのではないか?それにしても、5歳と3歳の兄と妹の子どもたちはよくもまともに育って成人したものだと思う。
さて、島尾ミホさんがこの頃に入院した慶応病院では教授の林髞(探偵小説家の木々高太郎、小説『死の棘』ではY教授)に診てもらっているようだ。また、佐倉に引っ越してから国府台病院神経科の医師の加藤正明の診察をうけている。私が医学系出版社で記者をしているときには加藤正明医師は東京医大医大教授(精神科)であった。林髞さんや加藤正明さんは島尾ミホさんのことを医師として何か書いて残してはいないのだろうか?医師は患者のことを「臨床報告」として論文にすることが多い。調べると島尾ミホさんについての「臨床報告」の論文があるかもしれない。
本日は興味深く読み継いでいる「狂うひと」について書いた。この本は梯さんが10数年に及ぶ取材に基づいて書き継いだ大作だ。