小説家の高橋源一郎さんと村上春樹さんは同年代だろう。村上さんは1949年生まれ、高橋さんは1951年生まれ。ほぼ同じ年代だろう。そして私は1947年生まれなのチョット先に生まれた。これだけの差で随分違うのかもしれない。
ともあれ、『私生活』を読んでいる。これは、最初は月刊『PLAY BOY』(集英社)に連載(全50回)されたものを単行本にまとめたものだ。小説ではない。こういうのは、エッセイというか雑文なのだろうか。結構、面白くてよんできた。各回ごとに、その時の作家(つまり高橋さん)の「私生活」を書いている。これは、本当のことを書いているのだろうか。本当のこともあるし、大げさにかいたり、虚構もあるのかもしれない。その時の気分で、文体も雰囲気も違う。
<連載をはじめる時、なにを書こうか、と思った。
なんでもいいい、といわれたのだ。ありがたい。でも、ほんとうのことをいうと、なんでもいい、というのが、いちばん困る。
小説は他で書いている。書評や評論も他で書いている。わたしは、日々の(どうでもいい)感想をかいて提出し、それを売り物にするほの大家ではない。いつまでたってもそんな大家にはなれない。では、それ以外の「なにか」にしよう。そう思った。
しかし、他になにがあるのか。ただの作家に、書くべきなにかが。結局、わたしが選んだのは、シンプルに「私生活」だった。テーマは、「小説家の私生活」とした。それがいい。いや、それしかない、とわたしは思った。>
序文の「作家の『私生活』」に上のように書いてあった。だから、この本は作家(高橋さん)の私生活なんだろう。それでも、読んでいくと、これって「私生活」なんだろうかと思う。その時々で、雰囲気や文体までも違うのである。引っ越しあり、不倫(といっても、作家には不倫という意識はない)あり、高級なワインを選ぶことあり、競馬場通いあり、何でもありなのだ。なんでもある中で、作家の鎌倉を語るところがしんみりくる。
<ぼくは十八から三十まで十余年を鎌倉で過ごした。最初は鶴岡八幡宮の裏の大学の寮のから歩いて、それから横浜に引っ越してからは電車で、ぼくは鎌倉の小さな土建会社に通った。そして、土を掘り、古くなった家を解体し、石を積み、道路を作り、セメントをこね、手押し車で砂利を運び、高い足場の上を地下足袋で歩き、昼休みに地面に板を敷いて昼寝し、束の間、淡い夢の底に落ち、会社に戻ってみんなで酒を飲み、陽気になって騒ぎ、家に戻り、他をれるように布団に潜り込み、深く眠り込み、朝が来て目をさまし、再びでかけるのだった。
その間に、恋をした。子供も生まれた。別れた。ひとりになった。それから、また、鎌倉の深い緑と、夏でもひんやりと肌に心地よい風に吹かれながら、土をを掘り、古くなった家を解体した・・・・。
三十一歳になった時、ぼくは小説家になり、鎌倉を離れた。それから二十年。ぼくは住む場所を転々と変えた。荻窪、国立、石神井、原宿、沼袋。そして、ぼくは鎌倉に戻ってきたのだった。>
このへんのところは、本当のことを書いているのだろう。村上春樹なら、高円寺かどこかで喫茶店をやっているのだった。大江健三郎さんは肉体仕事なんかはしない。学生時代に『死者の奢り』で作家になってしっまた。高橋さんは、土方をやっていたのだった。親しみが湧く。まあ、何でもいいか。こういう生き方もあるのだと知った。鎌倉で、神西清さんも棲んだ古い家に引っ越した」のだった。そういえば、神西さんが訳したチェーホフ「三人姉妹」の原書を途中までしか読んでいない。これを、機会に「私生活」が終わったらまた読もう。