「政治家の文章」というところまで進んできた。
<モブ・ノリオの『ゲットー・ミュージック』に、内田裕也のインタビューが採録されている。>っだそうだ。読んでみると面白い。内田裕也って樹木希林の旦那であった人で二人とも去年亡くなった。結構、二人とも好きだったんだが、その理由が分かった。二人とも人間として「本物」だったのだ。
<これは、武田泰淳という代表的な戦後文学者と考えられている人の書いた、『政治家の文章』(岩波新書)の一節だ。>
このように、高橋さんが書いているのだが、つまり、地下頃の大学生には、「武田泰淳」は化石の人(死語)で誰も知らないらしいのだ。
<今、引用した、「武田泰淳という人」の書いた文章の特徴はなんだろう。ひとことでいうのは難しい。「他人」への興味がある文章、ともいえるだろう。広い世界について考えている文章、とも言えるだろう。>
さて、前出の内田裕也さんも、<「自分」以外のなにか、「自分」を包んでいるもの、「自分」を」含む世界について,言おうとしているのだ。>のだという。一見、ハチャメチャにも見えた内田裕也さんは、外に向かってモノを言っていたのだという。内田裕也と武田泰淳を引き合いに出して、高橋さんはこんことも書いている。
<それは、「武田泰淳という人」人が、文章というものは(文学というものは)、「公的」なものだ、と考えていたからだ、」とぼくは思うのだ。>
ここの件は興味深い。何を隠そう(隠さなくてもいいのだが)、私は学生時代に武田泰淳を結構読んできた。『富士』という小説は、1970年の三島由紀夫自決の影響で書きあげられとか本人が言っていたらしい。武田泰淳は作家になる前に、北海道大学の中国文学の講師を少しやっていたことがある。『ひかりごけ』は北海道が舞台だ。そんなことより、『富士日記』を書いた奥さんとのなれそめが惹かれた。そんなことはいいのだが、「文章というものは(文学というものは)、「公的」なものだ」と、武田泰淳が考えていたと思う、といる指摘には驚いた。その目で泰淳さんを読み返してみよう。
ともあれ、高橋源一郎さんは面白い。しらべたら、もう70歳だというから、私と4歳しか違わない。横浜経済大学を除籍になっている。たしか、3時間位講義を聞いただけで面白くなくて学校には行ってないようだ。多分、もともとは東大に行くべき人だったが、二期校の横浜国大に行ったのだろう。もともと文学好きでなかったが、日本の近代文学を読み直すことから始めて、「日本文学盛衰史子」を書いたのだろう。五回も結婚してうて、私の孫より小さい息子さんがいるようだ。高橋さんは、自分の二度の結婚について触れた『私生活』という本も書いていると知った。「これを書いている間、二度結婚し、二度離婚した。死ぬかと思った。―作家の狂おしき五年間。」という帯広告の本の写真があった。これも読んでみたい。読書連鎖が続きそうだ。