TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

家柄と写真エッセイ『たまもの』(神蔵美子)を読んでみた

 池澤夏樹さんの『また会う日まで』という連載小説(朝日新聞朝刊)をときどき読んでいる。スタートの初回の頃に、主人公が妊娠した(相手は不詳)従妹と結婚して欲しいと言われ承諾する件があった。時代は明治で主人公の男性は海軍軍人でかつクリスチャンであった。衝撃のスタートにこれはどういうお話だろう読んでいた。生まれた子どもが福永武彦だった。

 ということは、池澤夏樹が祖父をめぐる家族の来歴をかいているのだと知った。池澤さんは作家の福永武彦の息子だが、両親が別れて母と北海道(多分、帯広)で育ったらしい。池澤さんも作家になった。実は池澤さんのまとまった本は読んだことがない。新聞で書く文章は好んでよく読んできた。池澤さんは名家の出身なのだ。「蛙の子は蛙」という諺のように親の資質は受け継がれるのだろう。「獲得形質はは遺伝せず」と言われるが、親からもらったものは継承される。
 さて、前置きが長くなった。今日は神蔵美子『たまもの』という写真エッセイ集を読んだ。その感想を書きたい。これは写真集であるが、実は写真家(カメラウーマン)の神蔵さんと別れた前夫・坪内祐三さんとの個人史を書いたものである。

 「ひとはこんなにも苦しんで生きるものなのか」「自由というものは、こんなんに苦悩も伴うものか」というのが感想である。坪内さんは2020年(昨年)1月13日に61歳で亡くなった。坪内さんの文章もまとまったものは読んでいないが、朝日新聞文藝春秋によく書いているのを読んで、「頭のよさそうな若いものかきさんだと思っていた」。坪内さんは良い家柄の御坊ちゃんだ。坪内さんは生き方に妥協のない人だ。坪内さんは若い時(といっても40代か)に新宿かどこかで、故なき暴力を受けて生死の境を彷徨って生き返った。殴り倒されてかつお腹を踏みつけられて腸を開腹し切除して危うく人工肛門になるところだったらしい。復帰して坪内さんは、『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』という本を出した。この本を出して2001年4月10日に山の上ホテルで、「出版記念会」を行っている。

 それにしても、、写真集の坪内さんの写真をみると、坪内さんはイケメンでインテリで、おまけに家柄が良い。父親はダイアモンド社の社長だた。曽叔父が民族学者の柳田國男で、母方の曽祖父は歌舞伎の何世か市川団十郎だと書いてあった。何処へ出ても恥ずかしくない家柄のお坊ちゃんだ。

 ある時、神蔵さんは夫の坪内さんに、好きな人ができたから家をでます、と言った。君はアーティストなんだから好きにしたらよい、と、坪内さんは応える。神蔵さんは編集者の末井昭さんと暮らす。この末井さんがまた凄い人だ。写真で見る限りイケメンではなく爺さんに見える。数奇な来歴の人である。神蔵さんは坪内さんと別れて、末井さんと結ばれて沢山セックスしながらも坪井さんとも心の交流は続ける。

 人生は不可視で不可思議だ。たまものが本になったのは2002年だから20年近くも前だ。神蔵さんや末井さんは今どうしているんだろう。末井さんの本も読んでみたい。人は生きて死ぬ。本を読むとその人に近づくような気がする。