TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『暗夜行路』(志賀直哉)前編を読んだ

 <彼はしかし、女のふっくらとした重味のある乳房を柔らかく握って見て、いいようのない快感を感じた。それは何か値うちのあるものに触れている感じだった。軽く揺すると、気持ちのいい重さが掌(てのひら)に感ぜられる。それを何といい現わしていいかわからなかった。

 「豊年だ!豊年だ!」といった。
 そういいながら、彼は幾度となくそれを揺振った。何か知れなかった。が、とにかくそれは彼の空虚を満たしてくれる、何かしら唯一の貴重な物、その象徴として彼には感ぜられうのであった。>

 「前編」の最後のところを引用した。名文である。新鮮である。随分まえの小説とは思えないような気がする。
 ここまで、きて、主人公の時任謙作は小説家なのだった、と、知った。ここは主人公の時任謙作が、女中のお栄と結婚したいと兄に伝えて、それがキッカケで、彼が実は祖父と母の不義の子として生まれた出生の秘密を明かされた。謙作の世話をしてくれていたお栄は、実は既に亡くなっている祖父(実際は、父親)の妾だった人だ。謙作が、6歳くらいの時に、母が死んで、祖父(実は父親)に引き取られた時に、お栄は23,4で祖父の妾であった。だから、謙作よりも17、8歳くらいは年長になる。謙作が、28、9歳とすると、お栄は42,3歳くらいに なる。謙作は、お栄のことを女として意識して、結婚をしたいと思うようになったのだ。一つの屋根の下に暮していて、二階にいる謙作は一階のトイレに用足しに下りた際に、お栄の部屋の様子を窺ったりしていた。

 『暗夜行路』(上下)岩波文庫本(1938年)を読んでいる。この文庫本には、冒頭に「武者小路実篤兄捧ぐ」という献辞がついている。もう一つ、新潮社文庫本『暗夜行路』(1冊本)も借りて来たが、こちらには、「献辞」が」付いていない。どうしてなんだろう。

 『暗夜行路』は、志賀直哉のかなり自伝的な背景のもとに書かれている。新潮文庫本には、年譜がついている。これを読むと面白い。

 志賀直哉は、明治16年(1883年)に、宮城県(いまの石巻)に、志賀直温の次男として生まれた。12歳の時(1895年8月)に、母の銀が死亡している。その9月には、父は再婚した。それもあってか、直哉は祖父母に溺愛されて育った。学習院初等科を経て、1906年、23歳の時に、東京帝国大学英文学科に入学する。その年に、祖父が死亡した。明治40年(1907年)、8月、女中との結婚を決意するが、実現せず、父との不和が深まる。

 年譜に上記があった。裕福な家庭で育っている。学習院で二回く落第しういるので、東京帝国大学に入ったのが23歳である。そのの、翌年24歳で、女中と結婚したいと言い出すのだから、普通の庶民の感覚では、それはないのだ。この体験が、『暗夜行路』の時任謙作に反映されてるのだろう。

 ともあれ、前編はよんだので、これから後編にとりかかる。