TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

ヰタ・セクスアリス 〜同性婚「法で認めるべきだ」72%を読んで考えること

 『イタ・セクスアリス』といえば森鴎外の小説である。三島由紀夫仮面の告白』、瀬戸内晴美『花芯』、日本の自然主義小説の先駆けとなった田山花袋『蒲団』も、志賀直哉の『暗夜行路』も「ヰタ セクス・アリス」の流れにある。「性を書くこと」は、「人間を描くこと」だった。
 さて、私の乏しい「ヰタ・セクスアリス」はどうだったか。もの心ついて10歳過ぎから好きな女の子がいたから女の子好きだった。小学生の時は「Sちゃん」が好きだった。中学性になって14歳の中学の修学旅行で江の島鎌倉に旅して網代の旅館に泊まった頃には「Yちゃん」が好きでたまらなかった。そいうことで女の子好きな普通の男のガキだった。普通ってなんなの?  たぶん15歳の中学2年生くらいに「精通」があって男であることを自覚した。偶然に「オナニー」も覚えていつの日か男として親になる子孫を残すのだと思っていた。いい子孫を残すために相手は外見も良くて勉強もできる女の子がよいと考えていた。ワルガキだって考える。「Yちゃん」は走るのが速くて(「ダチョウ」の綽名あり)可愛くて見目麗しかったが勉強ができなかった。それでも好きで「Yちゃん」にワザとぶつかって触れるを試みた。痴漢の素養が15歳にしてあったのだね。時は進んで16歳高校生になった。高校1年生の夏だったろうか。同窓生で別の高校に進んだ「SMさん」から突然に封書が届いた。その中身は「私たちも16歳になったから、男女交際をしてもいいのではというような「交際を求めるもの」だった。その手紙を私の父親は勝手に封を切って中身を読んで「お前に手紙がきていたぞ」と渡してくれた。なんということだ。親書への配慮もなかったのだ。このとき私は父親に抗議はせずに黙って受け入れた。しかし心中では、「この親の元を一日も早く去らねばならない」と思った。一人で生きる力があれば直ぐにも逃げ出したかった。しかし甘受した。父と闘うことをしなかった。「できるだけ遠くの大学に行って生まれた家を捨てよう」と思った。この気持ちが北海道という遠くの大学を選ばせた。北大ロシア文学科があったのも理由だが、それよりも遠くに行きたかった。
 貧しかった。小中学生の頃は、畑の草取り、麦踏、夏場は桑摘みの仕事をした。養蚕農家だったので蚕をを育てるのに子どもも働いた。農繁期には、近くの農家ではない家、もしかした町役場の職員とかの勤め人の子どもたちが、家の手伝いをしないで画板をもって写生にいくのなどを羨ましく思っていた。綺麗な格好をした可愛い女の子に憧れていた。その頃、夏目漱石の「行人」やトルストイの「アンナ・カレーニナ」を読んでいた。精一杯背伸びをしていたが私は田舎のガキだった。

 その私が26歳と2カ月で結婚をした。それは一世一代の賭けだったのかもしれない。大江健三郎なみに「見る前に跳んだのだ」。50年が経過した。その後の生きて来た日々のことは、このブログでもたどることもできる

 さて、<同性婚「法で認めるべきだ」72%を読んで考える>という見出しの記事が、朝日新聞朝刊(2023年2月21日)に載っていた。興味深い。

LGBT」に理解を示す社会の到来は望ましいと思う。最近、千葉雅也さんの『オーバーヒート」という小説を読んだ。「ゲイ」の人たちの苦しみもわかる。千葉さんの小説に描かれた新宿ニ丁目などの「はってんば場」の存在は「ゲイ」の人たちにとって随分と恵まれた「場所」なんだと知った。言葉は要らないんだ。「はってん場」では、自分が、たち(男役)か、うけ(女)かを表すサインがあって、互いに気に入れば拘りもなくセックス行為に移行する。異性愛の場合にはチョット間違うと「セクハラ」となる。「恋」と「セクハラ」は表裏一体である。

 <2月18〜19日に実施した朝日新聞社世論調査では、ジェンダーをめぐる法整備について質問した。同性婚を法律で「認めるべきだ」は72%と多数で、「認めるべきでは」は18%、LGBTなど性的少数者に対する差別を禁止する法律は「つくるべきだが51%、「つくる必要はない」が39%だった。

 LGBTを尊重する方向は良いと思う。一方、同性婚は生産(子どもが生まれない)の発言が物議をかもした。それはその通りなんだ。男女の結びつきでないと子どもは生まれないので少子化は進むことになる。

(磯田和昭さんの記事に触発されて書いた。)