幻冬社から、石原慎太郎さんの本がでた。死後に公開の自伝はこれだった!のだ。。
昨年、亡くなった直後に文藝春秋に掲載された手記が、件の原稿かと思っていたら別のきちんとした原稿があったのだ。死後の出版のために書かれ、著者は生前に4回の校正チェックを済ませていたんだという。幻冬舎の社長さんが、石原さんと懇意だったので、実現した企画であろう。新聞の広告にはこういうことが書いてある。
弟・裕次郎や妻と息子たちへの愛と感謝。
文学・政治への情熱と悔恨。
通り過ぎていった女たちへの思慕と感傷・・・。
<死の瞬間にも意識だけははっきりしていたいものだ。出来ればその床の中で、有無言わされぬたった一度の体験として迎える自分の死なるものを意識を強め、目を凝らしてみつめてみたいものだ。それがかなったならば、多分、この俺はつい昨日、生まれたばかりのような気がするのに、もう死ぬのかと思うに違いない。(本文より)>
石原慎太郎さんの死のあと、1ケ月後くらいに、5歳も齢がしたの奥様が後を追うように亡くなられた。石原さんの死は、4男の方が近くにいて看取ったらしい。政治家の長男、俳優の三男に比べて、4男の画家の方は余り表に出てこなかった。このかたが、文藝春秋に寄せて描いた文章は、身内の追悼文としては、穏やか愛に満ちたものであったと読んで感じた。
石原さんの死後、文学者としても、政治家としても二流に終わったというような声がでていた。そのとおりなんだろう。作家の大江健三郎のような大きさがない。村上春樹のような荒唐無稽のような物語の作者でもない。五木寛之のような、生まれ育ちの屈折がない。三島由紀夫のような、芸術至上主義でない。どちらかといえば、比較的に裕福なお坊ちゃんにうまれた普通の人だったんだと思う。とはいえ、普通ではない起伏にとんだ一生を作家と政治家であり、かつ湘南の海でヨットをたのしむという稀有な生涯をおくって亡くなった。件の本を読んでみよう。