TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

第2章 わが死生観と獄中座禅20年 『東京拘置所 死刑囚物語ー獄中20年と死刑囚の仲間たち』(澤地和夫著)を読んだ

 本日は、町田市野津田にある「西山美術館」と近くの薬師池公園に遊んだ。帰宅して、第2章 わが死生観と獄中座禅20年 『東京拘置所 死刑囚物語ー獄中20年と死刑囚の仲間たち』(澤地和夫著)を読み継いだ。

 <事件から20年。私はもう十分に生かしてもらいました。これ以上、「生」について欲張る気はまったくありません。精神も肉体も異常のない今のうちに、何か価値ある死に方ができるのであれば、私は喜んでそれに応じたい。>

 「獄中座禅20年」という言葉があるように死刑囚である澤地さんには懲役はないので独房で一日3時間以上の座禅をおこなっていたようだ。さらにこうも言っている。

 <よくは知りませんが、そもそも座禅の目的が、「悟りをひらく」ことであるとするならば、私は20年も座り続けてきたのに、なんの悟りも得ていません。>
 澤地さんは新渡戸稲造の『武士道』もよく読んでいたようだ。潔い死というか「逃れることのできない死刑囚の刑死は、今の日本の死刑執行状況下では(新渡戸の)右(引用文)でいう「死すべき場に死し・・・」に該当するように思います。」とも書いている。

 澤地さんは二度も自裁(すなわち自殺)を決意したが、その後は再審請求をすることによって死刑執行を猶予する道を探っていたのだった。
 (今日はここまで)

 夕食後には、満を持して、

『スウェデンボルグの「霊界」ー死後の"生”と”最期の審判”』を読み始めた。この本は30年くらい前に買い求めたものだ。著者はオードゥナーで今村光一さんの翻訳だ。この本は1993年10月31日に徳間書店から出ている。

 スウェデンボルグは1688年1月29日~1772年3月29日まで生きた。スウェーデン王国出身の科学者・神学者・思想家だ。生きながら霊界をみてきたという霊的体験に基づく著作で知られる。
 多分、私がスウェデンボルグの名前を知ったのはドストエフスキーがスウェデンボルグに言及していたのを知ったからだと思う。無宗教の私には死後の世界、霊界があるのかどうかわわからない。
 とにかくこの本も読んでみたい。記憶と記録のために書いておいた。