TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

 三大歌集って知ってるかな?―「万葉集」「古今和歌集」「新古今和歌集」だよね

 大人の教科書「国語の時間」を昨日から読み始めたんだが面白い。毎週、朝日歌壇を読んでいるけれど原点は万葉集ということになる。「防人の歌」って関東地方から大宰府(九州)の守りに送られた人が作った歌が残っているんだから考えてみると(考えてみなくても)凄いことだ。

(1)万葉集:7世紀後半から8世紀半ばにかけて
 現存す最古の歌集で、奈良時代の後期に成立しているんだって。全部で20巻からなり450首(およそ450年間の)の歌が集められている。7世紀後半から8世紀半ばにかけての作品だ。作者は天皇から一般の庶民までにわたる。誰が編集したんだ。450年の長い間ということは、現在で考えれば令和から1600年頃(江戸時代より前)に遡るくらいの長い間だね。第1巻~第16巻まではさまざまな和歌が集められているんだって。17巻から20巻んになると『万葉集』の編者としてかかわったとされる大友家持(おおともやかもち)の歌日記的な歌が中心なんだって。『万葉集』に時代の代表的な歌人っていうと、629年~672年の間に天智天皇額田王(ぬかたおおきみ)が登場する。「野守はみずや君が袖振る…」って思わせ振りの恋の鞘当てのような歌が有名だね。673年~709年になると、持統天皇柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が有名なんだって。710年から733年にかけては、山上憶良山部赤人などが活躍する。「まされるたから子にしかめよも・・」って歌は私も知っている。ところで、有名な歌人斎藤茂吉が「万葉秀歌」って本を書いていて、確か岩波文庫版を私はもっている。五七調で力強い『万葉集』の和歌が今も新鮮であるのは本当に驚くね。もしかしたら、日本人の文化度は相当高いのではないか?『万葉秀歌」をまた引っ張り出してみたい。
 『万葉集』の時代は、いまか楽ざっと1500年前の時代のことだ。電気もない、ガスもない、もちろん自動車も列車も飛行機もない、何もない時代に人間はあるいて走って歌を作っていた。そのことを思えば「国語の時間」が楽しくなる。

(2) 古今和歌集:950年頃(平安時代

 醍醐天皇の命令で選定が始まった最初の勅撰集で、950年頃(平安時代)に成立したとみられている。選者は紀貫之紀友則凡河内躬恒(おうしこうちのみつね、コン人の名前は難しい)、壬生忠岑(みぶのただみね、これも読めない)の四人だって。紀貫之しか覚えていないよね、普通は。この歌集には、『万葉集』以降の150年間に生まれたもので、1100首が全20巻の歌集に収められている。150年間ていうと長い間だね。明治維新を1868年とすると、150年後は2018年になるから、明治維新から現在に至るくらいの長い間の歌なんだね。『古今和歌集』って20巻もあるとすると、どこに本が(あるいは巻物)が保存してあるんだろう。日本の和歌という文化はすごい。『万葉集』が五七調に力強く歌ったの対して、『古今和歌集』は七五調で流麗な歌となったんだって。「流麗な」という形容詞はどういうことか?伊勢物語の主人公とされる在原野業平に、こういう歌がある。

 <世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし>

 うえの歌は有名で、私でもそらんじているくらいだ。
 『古今和歌集』には、紀貫之が書いた「仮名序(かなじょ)」というのが冒頭にあるんだって。「なぜひとが和歌をうたうのかが論じられてある」んだって。「仮名序」を見てみたい。

(いまは、ここまで、続く)

(3 ) 新古今和歌集: 1205年
 後鳥羽上皇の命により1205年に藤原定家ら五人の選者によって作られた歌集だ。吃驚たな!もう。『古今集』から『新古今集』まで255年経っている。ところが、明治維新(1868年)から、現在(2023年)までは、155年しか経っていない。してみると、『古今集』から『新古今集』までの時間の経過は悠久といっていいくらい隔たっているんだ。選定はそれまでのように過去にさかのぼって行われることはなく、その時代のものを中心に選んでいる。収録された歌の数は、約2000首で、歌集は全20巻から成り立っている。西行法師(もと北面の武士とかで、坊さんになった人だよね)なんかが有名だ。
<こころなき 身にも 哀れは しられけりしぎたつさわの 秋の夕ぐれ>
 なんなんだ。この歌は。底辺の農民、庶民は生きていくのに大変でこん歌は作れないのでは? そもそも、「寂しい」などと言えるのは心の余裕ではないか? 寂しさや「もののあわれ」を秋の夕ぐれを使って表現しているのも『新古今集』のと特徴なんだという。宗教的なものも、取り上げているのが『新古今集』の特徴なんだという。この時代の歌人としては、西行法師、藤原俊生(しゅんせい)、その息子の藤原定家(ふじわらていか、さだいえ、どっちなんだろう)がいるんだという。藤原定家は、『明月記』の作者ではないか。「明月記」について調べた。ウキペディアにこうある。
明月記■
 鎌倉時代(ということは、「新古今集」は鎌倉時代になっているんだ)の公家である藤原定家の日記である。治承4年(1180年)から嘉禎元年(1235年)までの56年間にわたる克明な記録である。56年間にわたる日記とはこれはすごい。前に、「私のc型肝炎物語」を阪東君に見せたら、「明月記」のことをに言及してくれた。及ぶともないものだ。さて、『新古今集』の歌人としては、生涯に6万首をよんだという藤原家隆、藤原義経、そして後白河天皇のの娘(第3皇女)の式子内新王(しょくないしんのう、しきし内心のう)がいる。

<玉のをよ たえなはたえね なからへは 忍ふることの よはそもする>

 随分と難しいうただね。
「わが命よ、絶えてしまうのなら絶えてしまえ。このまま生き長らえていると、耐え忍ぶ心が弱ってしまうと困るから。」(現代語訳、なんだって)

 まったくすごい歌だね。鎌倉時代の女性がこんあ歌を詠んでいる。「孤独感と寂しさのコラボレーションが幽玄な世界を作り出していたのである」と解説にある。鎌倉時代と言えば、『金塊和歌集』の源実朝が有名であるが、実朝の歌は,「新古今集」には入っていないのか?『金塊和歌集』も読んでみたい。かの吉本隆明が、金塊和歌集と実朝について本を書いていた。本棚にあるはずだ。私には『新古今近集」の歌が好きだ。啄木も牧水もこの系譜ではないだろうか?

(本日はここまで)