TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

 朝日俳壇と歌壇を読む ~ 「みの虫の着のみ着のまま風のまま」がいいね

  札幌市滞在の2日目は白老の「うぽぽい」を見学した。地下鉄東西線の大通り公園から14分、札幌市白石区南郷18丁目に午前8時30分に集合した。そこからJA君の運転で、空手部同期(5名)で出かけた。高速を使い60分弱で到着した。
【参加者】入江、富永、庭瀬、福田、青木(五名)

■うぽぽいとは■

 うぽぽい(民族共生象徴空間)は国の貴重な文化でありながら存立の危機にあるアイヌ文化の復興・創造等の拠点として、また将来に向けて先住民族の尊厳を尊重し差別のない多様な文化を持つ活力ある社会を築いていくための象徴となる空間とのことだ。
 「うぽぽい」とはアイヌ語で「(おおぜいで)歌うこと」を意味するんだって。

 国立アイヌ民族博物館で展示を観てから、鵡川アイヌ文化伝承保存会による「アイヌ古式舞踊披露」を見学した。

 さて、本日は日曜日なので恒例の朝日俳壇と歌壇の掲載日である。例によって気にいった俳句と短歌を選んでみたい。

 <みの虫の着のみ着のまま風のまま(東広島市 乙重潤子)>⇒小串章撰:「蓑虫の生き様を

言い表して見事」と選者のコメント。俳句って、こういう軽い切り口がいいね。

 <まだ重き昭和の記憶向田忌(大阪市 上西左大信)>⇒小林貴子撰:「向田忌は八月二十二日。残された脚本や小説には昭和の深淵が詰まっている」と選者の小林さんがコメントしている。向田さんが亡くなったの1981年8月22日だった。取材旅行中の台湾において、遠東航空墜落事故で51歳の若さで亡くなった。1981年というと私は34歳だった。王禅寺に土地を購入して、その草取りに車で来ていてカーラジオで向田さんの訃報に接した。懸命に生きていた若い日の記憶だ。

 次に、歌壇に移る。

 <夏休みしおのみさきのとう台の階だん六十八だん登る(奈良市 山添そうすけ)>馬場あき子、高野公彦共撰: この歌って小学生の山添君の作だから選ばれるのだろうか? 面白くもなんともないが。事実を57577にいれただけだ。大人の爺の僻みかな?

 <人間の大騒ぎなどつゆ知らずドームの敷地羆(ひぐま)横切る(札幌市 伊藤 哲)>⇒佐佐木幸綱撰: 札幌ドームは東区の市街地にあるんだから、これは大騒ぎになるよね。

 <地上での七日の命憐れめど我とて宇宙の中の蜩(ひぐらし)(五所川原市 戸沢大二郎)>⇒高野公彦撰:「地上で蝉が生きるのは僅か七日程いわれるが、自分の命も宇宙を流れる長大な時間の中では蝉と変わらぬという諦念。」とコメント。

 <そんなこと、言うたん私?あほやなぁ 旧友(とも)の記憶に残るあの頃(奈良市 桑理孝子)>⇒永田和宏撰:永田さんが好きそうな歌だね。「桑理さん、あるよねえ、こんなこと。穴があったらはいりたい。」と永田さんのコメントあり。

 <コメント>
 朝日歌壇の歌はこころに響かぬ世相歌が増えてきたように思う。
 「行きました見ました説明しましたと言うためだけに福島に行く(観音寺市 篠原俊則)>が、高野公彦さんに選ばれている。篠原さん、毎週のように入選している。この言わば体制批判の世相歌はわかるのだが、実はつまらない。
 「気温より低き支持率永田町ひと足はやく秋風立ちぬ(札幌市 田巻成男)」
 この歌を永田和宏さんが選んでいる。この歌もつまらない歌だ。
 自分では詠めないが勝手な批評を今日もした。次の歌はいいね。

「五年ぶりに帰省ふるさと魚沼の八海山は山にして酒(東京都 庭野治男)」
 永田和宏さんが選んでいた。
 次のような記事が、下欄にでていた。
<読者サロン「歌人・科学者 永田和宏さん×AI短歌」
 永田和宏さんを迎え、AIを使いながら歌や創作について語る催しを10月28日に、朝日新聞東京本社で開く。連歌にも挑戦。永田さんによる発句「魚河岸の匂いもなくて秋の風」に続く脇句(七七)を募ります。締め切りは9月27日正午。もうし込みはWEBのみ」なんだって。興味深い。

 なんて、脇句をつけるか?
「嗅いでみたとて 返る術なし


 脇句は、秋を感じさせる「七七」をつけるとよいらしい。朝日新聞社の在る築地は、かつて「魚河岸」だったが、豊洲に移転して今は魚の匂いもしなくなったんだろう。