台風13号が去って再び夏日となった。だが、少しずつ夏の終わりが近づいてきた。本日は、所属するアクティブ・シニアの会という「楽さん会」の9月会合に参加した。小田急線柿生駅から徒歩5分の柿生中学の校舎の中にあ柿生歴史資料館を訪れた。二部屋の小さな記念資料館であるが貴重な文献、資料、昔の農機具などが陳列されていた。その中に柿生とは直接関係はないのだろううが(柿生の豪族が所持していたのだろうか?)、江戸末期に杉田玄白らがオランダの解剖書ターヘル・アナトミアから訳した「解体新書」(和綴じの冊子)が展示されていた。冊子はガラスケースに入っており手にとっては見ることができなかったが貴重な文献と思った。
さて、帰宅して本日も朝日俳壇と朝日歌壇を読んだ。
<どの道を行くも激しき草いきれ(島根県邑南町 服部康人)>⇒大串章撰:
大串さんが、<この「道」は人生の道でもある。「草いきれ」の熱気に負けてはならない。」とコメントしている。
<故郷の滴る山に語りかけ(鴻巣市 清水幹義)>⇒大串章撰:
これも大串さんが選んだ句だ。「滴る山」ってなんだろうか?鴻巣市は秩父山系から関東平野のほうなので「山」はあんまりないと思う。でも、なんかわかる俳句だ。
次に歌壇に移るのだが、「歌」のほうも何だか夏枯れのように感ずる。それと、ウクライナ、8月15日(敗戦、終戦)を詠んだ歌もあまりピンとこない。
<より多く命を奪う武器を持つことを抑止と為政者が言う(観音寺市 篠原俊則)>⇒永田和宏撰:
篠原さんは常連当選の歌人だが、こういう世相歌よりも「個人詠」のほうがよいのだが。
<小説のことだけを考えていた頃の林真理子に戻してあげて(横浜市 臼井慶子)>⇒永田和宏撰:
日芸出身の林さん、黙ってはいられないから日大改革にも乗り出した。また、もっとかいていくと思う。心配は医らない。
<熱中症警戒アラートこんな日にニガウリの実の育つベランダ(横浜市 田中廣義)>⇒馬場あき子撰: 田中さん、こういう歌も詠めるんだ。気にいったね。
<両の手に日傘と小型扇風機持ちて賑やか女子高生は(深谷市 高木昭子)>⇒佐佐木幸綱撰: 小型扇風機を持って歩いているのは何故か女子高校生が多いね。
<賃金がプライドよりも低いから「あーあー」と声出す介護士多し(横浜市 太田克宏)>⇒高野公彦撰:
このような現状を放置しておいてはいけないっだよね、本当は。
今週の歌の中で、一押しに次を推そう。
<どの家(や)にも死者が鴨居にゐた昭和深閑として遠きカナカナ(浜松市 松井恵)>⇒永田和宏、馬場あき子共撰:
「死者が鴨居にいた」ってどういうことか? どの家にも戦死者、あるいは若死にした人がいたってことだろうか?「遠きカナカナ」がわかるように思う。