TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

 「虚しさの研究」という本があるらしい令和6年の1月~ ”「桐島聡」名のる男死亡”の記事に寄せて

 令和6年の新年は地震と航空機事故で明けた。つい4週間前のことだ。
 作家の伊集院静さんが昨年の11月24日に亡くなった。伊集院さんのエッセイ「男の流儀」が好きでよく読んだ。作家でギャンブラーでもあった朝田哲也さんをモデルとした「居眠り先生」という小説も面白くよんだ。豪快なひとだったと思う。日本ペンクラブの電子文藝館でお世話になった詩人の村山精二さんが昨年7月に亡くなっていたのを年末に知った。村山さんもお酒が強くて煙草も好きな方だった。やはり豪快な人に見えた。お二人とも73歳であったのだから私よりも三才も若い。70の壁を超えたばかりで幽冥境をことにする人の数がおおい。私がそいう年齢になったのだと再認識した。そこで「虚しさの研究」という本を読んでみたくなった。

 さて、本日は、”「桐島聡」名を名のる男死亡”の記事に寄せて書きながら心情を吐露してみたい。

 <1974,75年に起きた連続企業爆破事件で、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されている桐島聡容疑者(70)を名乗る男(のひと)が1月29日朝、入院先の病院で死亡した。末期の胃がんで危篤状態だった。>

 1974といえば私は就職して3年目だった。学生闘争の残り火があり、1968年には新宿騒乱事件などもあった。「10.21」(10月21日)は国際反戦デーであちこちでデモがあったりした。

 <桐島聡容疑者は過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバー。事件発生から49年間逃走しており、警察庁指定の重要指名手配となっている。捜査関係者によると男は今月、同県鎌倉市の病院に「内田洋」の名前で入院。25日に病院に「自分は桐島聡だ」と明かし、「最期は『桐島聡』として死にたい」と話したという。偽名を明かした4日後の死亡となった。>

 桐島聡を名のる男についてDNA鑑定で親族と照合の手続きをしているらしい。いまの医学生物学では直ぐにも結果はでそうなのだが遅れているようだ。49年という歳月は親族の存在も希薄になっているのかもしれない。この49年は私の1974年から現在までと全く重なるものである。必死に生きてきたいうのが現況である。つい先日の能登半島地震では必死にいきてきた人たちが妻や子供たちを一瞬にして亡くしている。それも倒壊した建物の瓦礫のなかで亡くなっている。一寸先は闇とはこのことだろう。それを想うと「虚しさの研究」などといったら戯言と言われてしまうかもしれない。それにしても「桐島聡(さん)」はどんな気持ちで生き続けてきたのだろうか。どんな本を読んだりしてきたのであろうか。なにか書き残しておいてはくれなかったのだろうか。爆破事件でかなりの人が亡くなっているのだから罪は罪として贖わなくてはならなっかたのではないか・・・。