TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

伊集院静『ひとりを楽しむ』を読みたい

 作家の森村誠一さんが、作家には定年がないと書いていた。いちどデビューしたら、作家は死ぬまで書き続ける。ところが、80歳を越えた森村さんは鬱病を患い書けなくなった。鬱と闘い克服する有様を『老いる意味』という本に書いたらしい。まだ読んでいないので詳細は分からない。
 さて、伊集院静さんも1年位前に倒れたらしい。その後、以前のようには書いていないのではないか。そう思っていたら、標記の本の広告が出ていた。これは、「大人の流儀―10」とあるので、例のエッセー集というか、読者からの悩みの相談に、伊集院さんが応える「人生いかに生きるか本」である。この本が好きで読んできた。こんどの本は、「ひとりをたのしむ」というタイトルなので読んでみたい。新聞のキャッチ―コピーにはこうある。
 <人は誰でも別れ、離れ、ひとりになり、そして誰にも静かな時間がやってくる。喧騒が消え、孤独が友となる。ひとりのときをじっと味わう。人生、こんなたのしみもあったのだと、気づく。>
 <大切な人が消えていく。悲しみが通り過ぎたらひとりもいいものだと、思った。>

 「最後の無頼作家があなたを励ます一冊」という極め台詞がある。講談社が売り込んでいる。読みたいが、講談社に儲けさせるのもしゃくだから、図書館にリクエストしよう。

 ところで、私には親しい友人がほとんどいない。私と親しくなった数少ない友人は、早くして亡くなってしまった。合気道のS君は50歳代で、会社の友人のK君は定年後半年くらいで60歳台で亡くなった。そして、今度は、大学時代の友人のRB君が、74歳にして歩けなくしまった。「廃用症候群」という病名を医師がつけたらしい。去年、2020年8月に永年の勤務を終えて、それ以降は新型コロナウイルㇽ感染拡大もあって自宅に蟄居していたらしい。その結果として、認知症の進行と共に足も弱くなってしまったらしい。人の一生が「生老病死」と続くとすれば、三つ目の「病」まできてしまったのだ。私も「生老病」の三つ目まで既に来ている。「老と病」の期間を延ばすために、毎日、歩いている。人間は動物つまり「うごくもの」なので、自力で動くこと、歩くことが生きる証であるだろう。