TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

 城ヶ崎海岸の自然探索路を歩く

 宿泊した太田区伊豆高原学園の南口から小川沿いに10分歩くと城ヶ崎海岸自然探求路にでた。そこから海岸沿いの山の道を10分くらい歩くと橋立吊り橋にでる。吊り橋からは伊豆の海が目の前に見える。海岸沿いは溶岩が削られた柱状節理の岩肌が黒光りして見事である。そのあたりを大淀・小淀といううらしい。さらに進むと八幡野漁港に至る。吊り橋で引き返して海外沿いの城ケ崎海岸自然探求路をフラーミュージアム方向にあるく。海岸に突き出た木製の展望台を「対島(たじま)の滝展望台」と呼ぶらしい。滝がここからみえるのだろうか?実際には見えなかった。さらに進むと連着寺に至るのだが、ここら4.9キロの表示があったの歩くには1時間半はかかるであろうと推定して引き返してきた。分岐に戻り小川沿いの道を戻る。大田区立学園に戻ると既に午後13時を過ぎていた。昼食はインスタントカップ麺と持参した太巻きで済ませた。

 食後は、持参した文藝春秋(1月号)を読んだ。創価学会の三代目会長の池田大作さんの記事だ。池田大作さんは、昨年(2023年)11月15日に亡くなっった。そういえば、もう一つの宗教団体「幸福の科学」の大川隆法さんが亡くなったのも昨年だったろうか?(後で調べる)。昨日、小田原城から早川漁港まで歩いて行った折に、国道1号線に面した白い瀟洒な建物に「幸福の科学小田原支部」のような看板が出ていたのを目にした。ともあれ、池田大作さん関連の記事は以下の日本だ。何れも、興味深い読み応えのある記事だった。
(1)(特別再録)松本清張対談☓池田大作「戦争と貧困はなくせるか」
(2) 「池田大作(名誉会長)亡き後の創価学会ー日本最大の教団の政治的パワーはどうなるのか」 座談会:島田裕巳青山和弘・小川寛大

 (1)について興味深い部分を引用して書いておきたい。この対談は、文藝春秋(昭和43年2月号)に掲載されたものだ。この時、池田大作さんは三代目の会長に就任したばかりで40歳、松本清張さんは58歳らしい。「池田会長(当時)が少年時代や政治姿勢を語った伝説の対談」なんだという。
 読んでみると、池田大作さんも、松本清張さんも貧しい出の少年だったことが冒頭にある。この対談は文藝春秋の編集者がしかけたものなんだろうか?

 池田 ここで、かねてからわたしはいくつか松本さんにおたずねしたい、とおもっていることがあるのです。松本さんの『半生の記』を一昨年の秋ごろと思いますが、発売と同時にすぐ買いまして、夜中の三時ごろから朝方までかかって、一気によみました。淡々たる文章ににじみでた松本さんの性格に出会い、久しぶりに感銘を深くした本です。・・・・

 松本 ・・・・。わたしはあの本にも書いたように、だいたい友だちというものがいないんです。小学校卒ですから、学校仲間の友人がない。・・・十六のときから社会に出て、おやじを助けて働いたんです。学生時代がないからスポーツが全然ダメです。

 以上は、対談の導入部分の「生涯の師がほしかった」から引いた。池田さんの最初の師が、創価学会に入る経緯となった二代目会長の戸田城聖さんである。
 さて、この対談は実に興味深いのだが、まとめきれないので、項目の見出しを引いておきたい。
 十八世紀の英国が手本です(池田さんの発言より)
 教団の主張と政治
 宗教のための宗教ではない
 公明党は保守か革新か
 中道主義とはなにか
 未組織労働者を救う
 傲慢と邪悪の戦い
 七十年安保はやむを得ぬ
 ガラス張りの会計
 政治から老人を追放せよ

<コメント>
 『人間革命』という池田さんの本はベストセラーで300万部もうれているんだという。このまえ、佐藤優さんがどこかで、『人間革命』に言及していたのを読んで興味を惹かれていた。読み通せるかは分からないが図書館にリクエストしてみたい。

 次に、(2) 「池田大作(名誉会長)亡き後の創価学会ー日本最大の教団の政治的パワーはどうなるのか」 (座談会:島田裕巳青山和弘・小川寛大)を読んでみた。こちらは、今後の創価学会公明党の今後を予想するものだ。これを読んで、小渕恵三さんが総理になったと気から、公明党自民党と組んで政権与党に組みしているのだと改めてしった(民主党菅内閣の三年間を除いて)。池田大作さん亡きあと、創価学会の会員も公明党の力も弱体化しているらしい。