TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

 私の「医人」たちの肖像―(170)太田保世さんと<『上司としての人間学』か(言化)伝>

 古い資料を整理していたら<『上司としての人間学』か(言化)伝>という文章(ワープロ原稿)のコピーがファイルから出てきた。次の二編である。

(1)『上司としての人間学』か(言化)伝(理事長 太田保世)

(2)『21世紀の医療の展望ー原理主義に還るべき医学・医療』(財団法人太田総合病院理事長 東海大学名誉教授 太田保世)

 この原稿は、2000年頃に雑誌「呼吸と循環」の編集委員であった太田先生から頂いたのだと思う。肩書が理事長とあるから太田先生が東海大学教授(呼吸器内科)を退職され福島の太田病院理事長に就任されていたころであると思う。太田保世さんは慶応義塾大学医学部出身の内科医(呼吸器内科)であった。実は太田さんとは1882年~83年頃に太田さんが東海大学教授に就任して間もない頃、医学界新聞の「新春随想」欄にエッセイを執筆して頂いたことがあった。その時から25年くらいあとで、私が医学界新聞の担当から医学雑誌編集部に移籍して「呼吸と循環」雑誌の担当になって二度目の邂逅の機会を得たのだった。太田さんは実は普通の内科医師におさまる人ではなかった。博覧強記の教養に溢れた人だ。今回インターネットで調べたら医師と言うより作家という肩書で通っていて「日本ペンクラブ」会員にもなっている。
 東海大学を定年退職する前後から多くの小説も出している。謹呈いただいた幾つかの本を書棚に保存している。ここではインターネットで調べて著書一覧を明記しておきたい。

(1)『こころの力量ー医療人・社会人の人間学』(東海大学出版会、1,650円)

(2)『老いの構図ーその美学と人間学』(

(3)『流敵の波頭』(

(4)『いびきと睡眠障害

(5)『凡夫凡婦のための生死観入門』

(6)『戊辰戦争と東北の格差』

(7)『一語一会』

(8)『長寿考-古典と医学に異る長生きの秘訣』

 さて、凡夫である私は太田さんの原稿を当時読んできちんと理解しえていなかったと思う。冒頭で紹介した原稿にかかれた理念(内容)は後の太田さんの本の中に書きこまれているのではないかと思う。ここでは久しぶりにでてきた資料を読み返すことで太田保世さんを思い出す縁としたい。太田さんは私よりも11歳年長(1938年生まれ)なので88歳でご健在だと思う。(追って調査する。)
 ここでは顕現したニ本の原稿を読んだので感想をかしておきたい。(2)はひとまず置いておく。

『上司としての人間学』か(言化)伝■

 太田さんが研修で管理職に対して行った訓話(かな)の原稿である。管理職の上を目指す「帝王学」と、間違って管理職になってしまった人への「基礎教育」の二つを対象として「上司としての人間学」を語る。なんという難しい贅沢なテーマなんだ。以下、引用を重ねながら読んでいく。

1.人に接する態度
 「挨拶」がまず大事と述べている。「挨拶ができないことは相手を理解することを放棄していることになる。」インドの挨拶「ナマステ」は、ナマス=尊敬する、テ=あなとを、という意味なんだという。「私は、挨拶をしない、できない人間を相手にしbないことにしている。」と述べている。
 太田さん、教養溢れた語り口であるので、みんな唖然として効いていたのではないか。でも、まともなことを語っている。面白い。

2.自らの人のかたち
 <浄土教曇鸞(どんらん)、善導、法然親鸞、あるいは聖徳太子も、「賢愚(けんぐ)の思想」といわれる言葉を残している。きわめて俗な表現をすれば、人間はどうせ皆アホなのだから、アホに還ろう」ということである。ある意味では、厳しい自己否定なのでアsるが、別の言葉でいえば、人間には謙虚さが必要だということである。絶対的な自己否定は人間を卑屈にし、絶対的な自己肯定は人間を傲慢にする。ブツダの「中道」のお教えを敷衍すれば、人間の佇まいも偏らず、多田氏気卯である。>

 太田さんは実に仏教についての造詣が深い。親鸞はしっているが、曇鸞は名前すらしらない。仏教を学んだ阪東良三君は知っていたろうか?

3. 自らの努力で生きる
 <自らの努力でい来ることも大事である。「人事を尽くして天命を待つ」とはそうしたことであると思う。>

 太田さんは、ここではありきたりのことを言っている。私が60年近く前に受検浪人して二度目の受験をする時に親から「人事を尽くして天命を待つ」っていうから、「今さらじたばたするなと言われたのを覚えている。この言葉は、中国の儒学者・胡寅(こいん)があ著した「読史管見(とくしかんけん)」という書物に由来するんだという。
 <自分の努力で生きることには、しばしば障害があり、限界と思われることが生じてくる。しかし、その場合でも、孔子の「為さざるなり、成らぬにあらざるなり」という言葉を肝に銘じておきたい。>
 太田さんの言葉はいちいちが腑に落ちる。私の場合は、せっかく入学した北海道大学で余りに不勉強であった。もっともっと本を貪るように読むべきであった。唯一、やったのは空手部を最後まで辞めずに稽古をしたことであろう。学生時代の不勉強がたたり七七歳になっても本を毎日読む羽目になっている。

 4. 執着心を捨てる
 <ブツダの基本的な教えの一つは、執着心を捨て去ることである。諸法無我(非我)という教えである。人間は、「自分のものだと執着したもののために悲しむ」のであり、執着したもののために真理がみえなくなり、あるべき姿が分からなくなるのである。管理職にある人間には特に重要なことだと思う。真理や、あるべきかたちが見えなければ、人間集団を統率したとしても、ミスリードするkとは明白だからである。>

 このへんの件を、実は理解できない。私は管理職になっても地位への執着はなかったと思うがミスリードしていて統率ができなかった経験がある。

 5.部下の登用に心を砕く
 この項目は、全くその通りであると思う。管理職となったらその日から自分の後継者を探すことが始まる。辞める日までの仮の地位なのであろう。

 6.自ら恥じ得る師を持つ
 <かの安岡正篤(まさひろ)氏は、帝王学の基本として三つのことを挙げている。「原理原則を教えてもらう師をもつこと」、「直言してくれる側近を持つこと」、「よき幕賓(ばくひん)を持つこと」である。>

 幕賓とは野にあって直言する人物とのことである。上の三つのことはとても身につけるのが難しいものと思う。私にはなかった。

 7.組織は機能させる・規約は守る
 真っ当なことであろう。

 8. 教え続け学び続ける
 <佐藤一斎の「三学」には、「少(わか)くして学べば壮にして為すあり、壮にして学べば老いて衰えず、老いて学べば死して朽ちず」とある。>
 佐藤一斎さんはいつの時代のひとだろうか?太田さんがこの項目でこう結んでいる。
 <どんなに酒を飲んで帰宅しても、ベッドに入ったら必ず本を開くという習慣もまた良いものである。>
 まったく同感である。泥酔してやっと帰宅して寝てしまう私の行為は恥ずべきものと知る。

 9.人材を大切に育てる
 <「管鮑の交わり」で有名な管仲は、「一樹穫」という言葉を残している。「一樹一穫は穀なり。十樹十穫は木なり。一樹百穫は人なり」というのであり・・・>

 長期的なことを考えるならば人を育てる方が、百倍もの収穫があるということである、という教えである。なるほどと納得する。

 10.部下への接し方
 この項目では、太田さんはわかりやすい言葉で次のように書いている。
 ① 部下の手柄を自分のものにした戦国時代の武将は、その部下に見捨てらる運命にある(現代でも同じである。)
 ➁ 部下の欠点を責めるより、長所を探すべきである。
 ③ どんな部下の言葉にも耳を傾け、
 ④ どんな部下にもチャンスを与え、
 ⑤ 部下の仕事に最初から介入せず、
 ⑥ 評価については、人前で褒め、秘かに叱るのがよい。
 ⑦ 部下に仕事を命ずる以上は、失敗してもその泥をかぶる決心が肝要である。
 ⑧ 重大な問題が起きても、管理職は「有事規然」(何か事ある時は、活き活き,キッパリと)でなければならない。

 以上の項目を読むと、私が管理職としてダメだったとわかる。

11. チャンスを与えよ、チャンスを掴め
 ここのところを読むと、「果報は練って待て」の言葉を想い起す。京セラの稲盛和夫さんの言葉である。

 12。 壺中(こちゅう)天あり

 <ゴーダマ・ブッダが、富豪の息子・シンガーラに与えた教えはいくつもあるが、その中に、主人は使用人に、以下の5つの仕方で奉仕しなければならないというのがある。

 

続く