TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

 古い(24年前、2000年)新聞記事「深層ロシア(最終回)ー第6部 混迷社会の実像 下」(日経新聞)より

 古い資料(ファイル)で探しものしていたら、標記の新聞記事のコピーができた。マーカーを引いて読んだ形跡がある。興味深い。分析して読み返しながら記録してみたい。このころ(ロシアは)既にプーチンの時代になっていたのだ。

■ウラジーミル・ウラジーミルヴィッチ・プーチン
 1952年10月7日~
 ロシア連邦第2代(2000年~2008年)
 ロシア連邦第3第大統領はド三―トリー・メドヴェージェフ
 ロシア連邦第4代(2012年~現在)大統領
 ロシア連邦首相(2008年~2012年)

今回、出てきた標記の新聞記事は実に興味深い。再掲してみたい。

<ロシアの人口が急減している。プーチン大統領はようやくその重大性に気付き、対策を検討し始めた。しかし、簡単に歯止めがかかることはないだろう。人口危機はロシアの社会、経済、安全保障など同国のあらゆる様相を変える可能性がある。>
 この記事は、日経新聞編集員の小田健さんの署名記事だ。小田さんは、1949年北海道生まれで、1973年に東京外国語大学ロシア語科卒。日経に入社後、モスクワ支局長、ロンドン編集総局次長、論説委員などを経て、2012年~2016年、国際基督教大学客員教授になっている。『ロシア現代と国際関係 歴史を学び、政治を読み解く、4400円』『現代ロシアの深層ー揺れ動く政治・経済・外交,6600円』等の著書が」ある。小田さんは、ロシアの専門家なのだ。年齢も75歳くらいかな。ほぼ私と同世代だ。今回読んでいる新聞記事は、モスクワ支局の時代の記事で、この記事が上掲の単行本の元になっているのであろう。

 新聞気の引用を続ける。

< 15年後(2015年ということ)、日本を下回る?

 「このままでは国が存亡の危機に立たされる」ーープーチン大統領は今年(2000年)七月の施政方針演説で、人口危機の深刻さを国民に訴えた。人口は毎年七五万人づつ減っているという。
 国家統計委員会によると、ロシアの人口は一九九二年に一億四千八百七十万人だった。ところが、その年を境に減り始め、今年(2000年)9月1日現在は一億四千五百十万人。年ごとの減少幅をみると、プーチン大統領が言うように最近は年七十万人~八十万人減となっている。
 この傾向は今後も続くと専門家は指摘する。ニコライ・ゲラシメンコ下院保健・運動委員長は九月、「今後十五年から二十年の間に人口は二千二百万人から二千五百万人減る可能性がある」と述べた。つまり、人口は二千十五年には最悪の場合、一億二千万人程度にまで減る恐れがある。
 日本の人口は現在(2000年)一億二千六百万人少子化などにより日本の人口は2007年から徐々に減少に転じると予想されているが、ゲラシメンコ委員長が言う最悪のシナリオの場合、2015年にはロシアの人口は日本の人口を下回る。>

標記の記事の、人口の数字は興味深い。15年後の2015年の人口は実際にはどうであttのか?調べてみた。
 2015年のロシアの実行は1億4千410万人であった。一方、同年の日本の人口は1億2千710万であった。ロシアの方が日本よりも1700万人ほど多い。ゲラシメンコ委員長の予想に反して、ロシアの人口は日本より減らなかった。

 2000年頃の、ロシアの人口急減の原因は、「飲酒・喫煙・エイズ」が深刻だった。
 記事はく続いている。

< 改革で生活苦しく
 人口急減の原因についてモスクワ国立大学のイオンツォフ教授は「九十年代の政治経済」と見る。ソ連が崩壊し、イエリツェン前大統領が進めた急進的な経済改革で国民の生活が苦しくなった。それが人口減の大きな背景だというのだ。
 ロシアの人口危機の最大の特徴は死亡率が出生率を大幅に上回っていること、そして少子化だ。モスクア社会大学のジューコフ学長は、平和時に死亡率が出生率を上回ることは歴史上初めてだと指摘する。>

 <(エイズの)感染状況は世界最悪
 なぜ(ロシアの)死亡率がこんなに高いのかs。問題は国民の不健康化である。大量の飲酒、喫煙の影響を上げる人は多い。特に飲酒は自殺のほか、交通事故、心臓病、暴力事件による死亡の引き金となる。ロシア男性の平均寿命が約六十歳と低いことに大いに関係する。女性の平均寿命は約七十二歳。>

<ロシア国民の不健康化を今後一層進めると懸念されれいる問題に、エイズの急速な広がりがある。ロシア・エイズセンターのポクロフスキー長官によると、HIV感染者登録は現在、七万人程度だが、実際にはその五倍はいる。その多くが過去三年の間に麻薬の注射針を媒介に感染しており、増え方は「世界最悪に近い」と指摘する。>

 上述の事態は国民医療は危機的な状況に陥いっている。この記事をまとめた小田さんは、大量の核兵器保有を背景にした超大国」などという地位はロシアにはふさわしくないように思えてくる、と結んでいる。

<コメント>
 2000年はプーチンさんが最初に大統領に就任した年だ。ソ連が崩壊したのは1991年だった。1991年12月25日に、ゴルバチョフソ連大大統領が辞任し、同26日にソビエト連邦最高会議が連邦の解体を宣言したため、崩壊している。2000年はソ連崩壊から9年目のことだ。ロシアはもうその時から、大国ロシアの面影はなかったのだ。今回、読み直した小田さんの日経の記事は極めて興味深い。たぶん、2000年12月1日付の二歩jん経済新聞朝刊掲載のものであろう。小田さんの本『現代ロシアの深層ー揺れ動く政治・経済・外交,6600円』を探して読んでみたい。