TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「新聞を跨いではいけない」という教育と辞書を編む ~思うこと

 昨日の朝日歌壇に
 <アルバムを見て思ふ背広など着たことのなき父の一生(大分市 野田孝夫)>、という歌が載っていた。おそらくこの方の父親はひたすら仕事着を着て働いてその姿をこどもに見せて去っていったんだろう。この歌を読んで私の父をおもい浮かべた。やはり背広は一つ革靴も一つ、冠婚葬祭用の黒服が一丁、あったと思う。高等小学校の学歴だ。私が五歳頃に家を新築した。それを祝いしてか地元の父の同級生会を父の家で行ったことがあった。そのとき「俺の父ちゃんは案外と人気があるのかな?」と思った記憶がある。貧しい家であった。ボロボロの国語辞典が一冊しかなかった。本というものは他になかった。しかし、新聞を購読していた(読売新聞、のちに産経新聞だったろうか?)北関東の田舎に朝日新聞はなかった。(朝日新聞は関西・大阪の新聞だろうか?)そして、新聞を跨いだり踏みつけてはいけない、と厳しくしつけられた。幼い頃はその意味が分からなかった。新聞紙は切り取ってトイレで尻ふきに使ったり、焚き付けにしたり、物を包むのにも利用した。読んで不要になれば捨てられた。それでも踏んだり跨いだりしてはならない、大切な「なにか」だった。低学歴の父であったが、新聞(それは文化の象徴)への畏敬を持っていたのだ。

 さて、本日は『大漢和辞典の百年(池見正晃著)』の書評(「出版人の信念「奇跡を呼ぶ」、読売新聞、2月18日、朝刊)を読んで触発されて書いておきたい。この新聞は白菜を保存するために包んでおいたものだ。白菜が使い終わったので捨てようと思った。待てよこの欄は読売新聞「読売堂、本」という文化欄だった。包むときにこの面は読んでいなかったなと思った。くちゃくちゃと丸めて捨てる前に目を通した。それで読むことができた。是非とも読んでみたい本の紹介だった。評者は読売新聞の橋本五郎(特別編集員)という方だ。この肩書は定年前の役員になれなかった(ならなかった)人だろう。よい記事だ。「辞書」については思い出がある。15歳のころに兎を飼って小遣いをためて買ったのが『国語辞典』『漢和辞典』(角川書店)」だった。辞書は言葉の固まりというか宝庫である。去年、長坂の八ヶ岳グリーンヒルに宿泊したおりに書棚で『船を編む』(三浦しをん)を偶然に見つけ読み始めた。これは有名な国語辞典『大渡海』を作った編集者をモデルとした小説であった。私が20数年前に勤務していた医学書院でもその頃に『医学大辞典』を編纂していた。20年以上もかかった大きな仕事であった。

 <歴史に残る辞書というのは「奇跡」のしょさんかもしれない。33年の歳月をかけ全13巻を刊行した諸橋轍次大漢和辞典』の足跡を本書でたどりながら、その思いを強くした。しかも「奇跡」は突然、偶然やって来るのではない。不抜の志と血のにじむ努力の彼方にあるのだろう。
 もちろん、世界最大級の漢和辞典は諸橋の存在なくしてはあり得なかった。しかし、受験生相手の参考書しか出していない無名の小さな出版社大修館の鈴木一平が、1年半近くにわたって諸橋に懇請し続けなければ、そもそも生まれ得なかった。「完全な大辞典」をつくるため一平は自分の資本と体力の一切を注入して事業完遂に一生を捧げようと決心した。>

 「大修館」といえば、私が出版に職を得た昭和46年(1971年)頃には、辞書の大修館と言われていた。既に、「諸橋漢和辞典」は世に出ていたのであろう。それにしても大修館の鈴木一平さんの熱い思いは、稲盛和夫さん(京セラ)と同じだと感じ入った。

<一平の妻ときが関東大震災の際、5歳の娘を背負い8カ月の身重で活版印刷の命ともいうべき受験参考書の紙型を運び出し、30万円の利益を得なければ辞典出版に踏み切れ中田Þ。一平は自分が事業半ばで倒れて刊行出来なくなることを恐れ、大学生の長男と旧制高校の二男の学業を断念させ経営に参加させた。
 『大漢和辞典』は出版契約から15年後の昭和18年、待望の「巻一」が出た。この時の内容見本には、3年後に全13巻が完結、全巻に使用した活字を縦に積み上げれば富士山の8倍半、敷きつめると157坪になり、事業に携わった延べ人数は20万6982ねんになる、とあった。
 ところが、昭和20年2月、B29による東京大空襲で大修館は事業所も工場も全焼した。さらに諸橋が失明に襲われるなど幾多の苦難を乗り越え、昭和35年5月、最終巻「索引」が刊行されて完結したのだった。>

 凄いことだと知った。私が出版業界に就職したのは昭和46年だから『諸橋漢和』完成から11年後だった。辞書の大修館は既に有名だった。

<大辞典完成の背後には、諸橋の友人・知人、弟子たち、編集者、校正者、印刷工、」製本工などの様々な献身があった。」しかし、最大のものは鈴木一平の出版人としての信念と言うべきだろう。
 「いやしくも出版は天下の公器である。一国の文化の水準と、その全貌を示す出版物を刊行せねばならぬ。これこそ出版業者の果たさねばならぬ責務である」

 最後の「ことば」(太字にした)は鈴木一平さんの言葉だろうか?
 この本の著者・池澤正晃(ただあき)さんは1946年生まれで1970年~2006年まで大修館書店に勤務して、『漢語林』『大漢和辞典』などを担当した人だという。

<コメント> 

  上記の評者(橋本五郎さん)の文章を全文引用しながら感想を書いた。池澤さんの本を是非とも読んでみたい。感心したので全文引用した。この手法は、高橋源一郎さんの真似だ。橋本さん、よい書評をありがとう。