TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

 桜ケ丘公園を歩いてから帰宅して朝日歌壇と朝日俳壇を読んだのでかく

 本日は久し振りに何も予定のない日曜日。何故か朝の4時15分に気になっていることがあるためか目覚めてしまった。再び眠ろうとしたが無理なので4時30分頃に起きた。恒例の真向法体操を済ませてから過去の確定申告の資料を整理した。医療費控除の証明書(領収書等)が過去5年間保存が義務つけられているので、それを保存したあとは資料を廃棄することにした。早朝の5時から6時50分頃まで約2時間を要して8年分くらいを整理した。この整理(片ずけ)の目的は実は他にもあった。2週間くらい前に地震保険の満期のお知らせと継続案内の通知が全労済より届いた。その封筒(A4)を机上に置いておいたものが見つからない。先日来、令和5年の確定申告をリビングの机で行った。その際に確定申告の資料に紛れてしまったと推察したからであった。しかし件の封筒は見つからなかった。最近、物をしまい忘れるということが多々ある。老化の一つであろうか?「残心」が此処でも求められると再認識した。

 さて、新聞を読む。

<桐島とふひと逝きにけりひとはみな何者かとして生きてゐるなり(東京都 朝倉修)>⇒永田和宏撰:
 「朝倉さん、何者かを消して生きざるを得なかった生涯もある。」と撰者の永田さんがコメントしている。
 この歌は、先日、鎌倉の病院で、「私は桐島聡です」と本名を明かして死去した桐島聡さんのことだ。内田洋という偽名で川崎市あたりで住み込みで40年数年を生きてきたのだという。偽名だから住民票も運転免許証も保険証も持っていなかったのだろう。桐島(呼び捨てでいいよね)は1970年代の東アジア反日武装戦線のメンバーだった。1975年の同派による連続企業爆破事件の容疑者として全国に指名手配されていた。逃亡してから49年後の最近(2024年1月)入院していた鎌倉の病院で本名を名乗り、その4日後に末期の胃癌で死亡した。最近、DNA鑑定で本人と判明し、被疑者死亡で書類送検されたと報道されていた。1954年生まれの70歳だった。私よりも7歳も若い人だった。私は新左翼と言われるひとたちに親近感は抱いたが接触は一切しなかった。「他人(ひと)さまに迷惑をかけるようなことはしてはいけない」と親から言われてしこしこと平凡に生きてきた。

 <アルバムを見ながら思ふ背広など着たこともなき父の一生(大分市 野田孝夫)>⇒馬場あき子、佐佐木幸綱共撰:
 この歌は私にも訴えてくるものがある。私の父も背広などきたことなかった。冠婚葬祭用の黒背広がひとつあったのだろう。水飲み百姓の倅の私は、吊るしの背広をきて40年間を社会でサラリーマンをやってきた。

<「後悔をしているか」「はい」と答える桐島某の孤独な一生(ヒトよ)(我孫子市 森住昌弘)>⇒佐佐木幸綱撰:
 「連続企業爆破事件の容疑者を名乗って死んだ男の歌が多くあった。」と撰者のコメントあり。これも「世相歌」のひとつとだろうか。

<政治家の息子や娘が政治家になるこの国の多臓器不全(観音寺氏市 篠原俊則)>⇒高野公彦撰:
 篠原さんが今週も選ばれた。「多臓器不全」は死に至る病なんだが・・・。

 なんか世相のくらい歌が多いね。

 <剪定をすれば樹液の滴りて葉なキウイの枝はもう春(前橋市 荻原葉月)>⇒馬場あき子撰:
 荻原さんのこの歌がいいね。

<ひこばえの森の記憶を引き継ぎて(日南市 宮田隆雄)>⇒大串章撰:
 「ひこばえ」って、倒れた木の根元に生えてくる新樹だよね・・・?