TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

危うくフィッシング詐欺に遭うところだった

 本日は、私の夕食当番の日だった。茄子焼のレシピをデスクトップパソコンで検索した。すると、突然に、あなたのパソコンは危険な状態にあるので、対処が必要であるとのメッセージが出て来た。以下の番号(050-505-1147)に至急電話をすようにとの表示が出た。愚かにも、私め爺は電話をかけてしまった。すると、あなたのパソコンは、トロイの木馬が入っているので、駆除しないと大変なことになるというのである。さらに、私の指示する番号をいれたら、お手伝いしますという。マイクロソフトの東京・品川の事務所であるという。大愚かにも私は遠隔操作の番号まで入力してしまった。パソコンに先方の顔写真ものっているが、どうみてもフィリピン系の若い男性であった。今から、セキュリティソフトを導入する。5年間有効な機器をインストールするのに4万円を支払えと言う。方法はクレジット払いか、マイクロソフトに現金を支払えという。クレジットはやらないというと、コンビニで、Google Play Card (4万円)を買ってきて、その番号を教えろという。ここで、フィッシングの詐欺であると気が付いた。パソコンを強制終了できなかったので、電源を抜いて終了した。危機一髪の回避だった。
 翌日、McAfeeでスキャンニングしたが、ウイルスは入っていなかった。急いでパソコンで利用している金融機関のID,PWを変更した。いまのところ被害の痕跡はないが、典型的な詐欺に遭うなんて、爺はボケてきたというしかない。恥ずかしいが、記憶と記録のために事実を記載した。

3テスラのMRIで頭部の検査をYさんが受けた

 一年振りにYさんが頭部MRI検査を横浜北部病院で受けた。横浜北部病院は、横浜市緑区にある地域の中核病院である。いまから、八年前に、小脳出血の治療をカテーテルを用いた頭部血管内手術で処置をした。爾来、8年目に入る。年に1回のMRI検査で出血跡の経過観察をしている。今回は、3テスラという最新のMTI機器が導入されていた。従来の1.5テスラの機器よりも数倍の精度であるらしい。

合気道の水曜日稽古は両手取りの技

 合気道の水曜日稽古に参加した。本日は両手取りからの各種の技を稽古した。両手取りから二教に入る動作では足の運びが間違っていたのに気がついた。一旦、足を揃えて反対側の足を引きながら手首を掴み、更に対側の足を引いて捌く。この動作によって相手の体を崩して制する。かつ、取りの姿勢は崩れることはない。大きな気づきであった。

本を読みながら考えている—日本語の文章って面白い

 石原慎太郎さんと曽野綾子さんの対談本『死という最後の未来』と高橋源一郎さんの『さよなら、ニッポン』を併行して読んでいる。どちらも面白く考えるきっかけをくれる。

 曽野綾子さんという作家は、もっと神経質なかたかと思ったら、意外とちゃらんぽらんな人とその発言の中で知った。両親が不仲な中で育って、10歳から死について考えていたんだという。石原慎太郎さんは身体のエネルギ―に恵まれた平凡な人だったようだ。左利きで、左手書いてきたようだ。晩年は脳梗塞を患って、それでも復活して書き続けた。田中角栄の一生を描いた『天才』という小説は、病を乗り越えてから書いたものと知った。

 

高橋源一郎さんの『さよなら、ニッポン』は、「14 驚異的な性能のオートフォーカス機能がついていたってあまり意味はない」の章を読んだ。高橋さんは、本当に小説が好きなんだなとよくわかった。ここでは、ハヤマヨシキ、ミシマユキオ、ヤスオカショウタロウ、シマザキトウソン、シガナオヤ、クニキダドッポらがの小説が俎上に上げられている。読んでみると、高橋さんが「ニッポンの小説」を読みこんでいることがよくわかった。

 ところで、本を読みながら、私のブログで書いている<私の「医人」たちの肖像>を、読み返して更新している。本日、高橋さんの上記の本を読みながら、自分の書いたものを読み返してみると文章に味わいが無いのに気がついた。もともと過去の記録と回想録だからとありのままで受け止めるしかないね。

靴が歩くー糖尿病はアルツハイマーと表裏一体なんだって―もっと歩こう!

 昨日に続いて午後4時過ぎから散歩に出た。重登山靴履いて歩いた。片足5キロくらいの登山靴が二足で10キロくらいになる。片足29キロ合計58キロの私の身体を運んでくれる。重い靴を履いて歩くのではなく、重い靴が私を運んで歩いてくれる。まさにそのような様子だ。
 折角、Ⅽ型肝炎ウイルが私の身体から出て行ったのに、並行して発症していた糖尿病は抱えて生きていかなくてはならない。先週は、身体が重くて憂鬱であった。そこで、順天堂大学の医師・小林弘幸さんが書いた『疲れたら動け!』(Cossmedia Publishing)を借りてきて読んだ。小林さんは、疲れのもとは、自律神経の乱れと説いていた。交感神経と副交感神経の双方がくるってきている状態が疲労という。「歩けば大抵の病気は治ってしまう」というような趣旨の本も書いていたような気がする。
 『疲れたら動け!』は全くその通りと納得した。もう一人の医師の南雲さんの主張も同じようなものだと思う。
「Aβ(アミロイドベータ)二つの病気を結ぶカギ
 標題のタイトルの記事が朝日新聞夕刊(2022年9月12日)に載っていた。二つとは、糖尿病とアルツハイマー病のことである。これは、興味深いというより、ショッキングな記事である。記憶と記録のために概要を書いておきたい。瀬川茂子さんという医学記者の署名記事だ。

<糖尿病になるとアルツハイマ―病のリスクも高まるのはなぜか。たんぱく質の断片「アミロイドベータAβ」が二つの病気を結びつけるカギとなることを、大阪公立大学富山君貴美教授らが明らかにした。>
 細かいことは、難しいので省くと、「どうやらインスリンによる血糖値をコントロールシステムに、Aβは組み込まれており、重要な役割を果たしているようだ。」ということだ。
 糖尿病は、万病のもとと言われる、その一端が具体的になってきたということだろう。やはり、「糖尿病」のコントロールにもっと真剣になる必要がある。歩くことだ。
 合気道の稽古を2時間やったあと、あるいは一万歩以上を歩いたときだけ、酒をのむことを自らに許すことにして実践を開始した。「飲むなら歩け」「歩かないなら飲むな」を標語にしたい。

朝日歌壇と俳壇を読む―世界の不安が歌に出てくるんだな

刈り草やぐっと押し出す一輪車(熊本市 坂口ちか子)⇒小林貴子選:

 ⇒9月になって、畑道を散歩していると、雑草の天下である。畑では夏野菜を撤去して、秋野菜の種まきが盛んだ。坂口さんは、農家のかたのだろか。 「刈り草や」で、刈り取った雑草を一輪車に載せて捨てに行くのだそうか?光景が目に浮かぶ。

 次に、歌壇に移る。今週も常連の歌人が入選していた。

<戦争は祈りだけでは止まらない、陽に灼かれつつデモに加わる(東京都 十亀弘史)>⇒高野公彦、永田和宏、馬場あき子、佐佐木幸綱の4人の選者が全て選んでいた。十亀さんは、かつて獄中歌人だった。いまは東京都在住のようだ。この歌は、いつのデモを詠っているのだろうか?ウクライナ侵攻反対のデモ行進があったのだろうか? いまから55~56年くらい前に、学生時代に「ベトナム戦争に反対する平和連合(べ平連といった)」のデモ行進に参加したことがある。手を繋いで、走ったりするフランスでもとかにも参加したことがある。でも、デモ行進に参加しても、これで何かが変わるとは思えんかった。連帯感も感じなかった。時は、大学の構内の安全地帯でデモをしてもどうしようもないと思ったりした。大学内の全共闘運動にも何かしっくりこなかった。こういう、私からみると、十亀さんの歌も全員が選ぶような歌だろうかと思ってしまう。この歌は選者の感性を試しているような歌かもしれないと思う。

 <デラウェアは母の好物デラウェアが美味しいうちにプチ親孝行(富山市 松田和子)>⇒高野公彦選:
 わこさん、また選ばれた。いい歌だ。松田梨子さんの妹だろう。歌詠み姉妹は美しく成長している。

<一年前の自分と比べ衰弱す想像なすだに怖し五年後(和泉市 長尾幹也)>⇒永田和宏選:
 長尾さん、難病を患っているが、歌で強く生きている方だ。今週も入選した。

世相歌、戦争歌が今週も多い。個人の心や風景を詠う歌が読みたい。

「深層からみるウクライナ問題」というタイトルの記事が、朝日新聞の「ひもとくー大文明と小さな文化」に出ていたー興味深い

 深層からみるウクライナ問題」というタイトルの記事が、朝日新聞(2022年9月10日)「ひもとくー大文明と小さな文化」に出ていた。著者は、一橋大学名誉教授の田中克彦さんだ。この人の本は読んだことがあるような気がする。著書に『ことばと国家』『ことばは国家を超える』等があるとのことだ。
 実は、プーチンウクライナ侵攻は、ただ許せない蛮行だというのではなく、プーチンの論理というか主張を知りたいと思う。上記の、深層からみるウクライナ問題」は、とても興味深いないようだ。冒頭から引用しながら読んでいきたい。

<ロシアの大統領プーチン氏が、ウクライナに軍をすすめたとニュースで知った2月下旬。即座に思い出したのは、百年ほど前、フランスを代表する言語学者アントワーヌ・メイエが発した次の言葉である。「ロシア語の土語にすぎない」「小ロシア語を国語にすることは、農民の方言を都市住民に押しつけるもので、つまり文明を引き下げることである」と。ここにいう「小ロシア語」とはウクライナ語のことで、革命前のロシアではウクライナは小ロシアと呼ばれていた。>
 ふーん、そういくことかと知った。うえの文章は、1928年に出た『ヨーロッパの言語』(メイエ著)に載っているんだという。

<時代は異なるが、プーチン氏の念頭には、小ロシアのウクライナは、大ロシア同化し一体となるべきことが当然のこととしてあったにちがいない。ロシア文学の確立に大きく貢献したゴーゴリも、もとはウクライナ語で書いてもみたが、作家として成功したのは、大ロシアの首都ペテルブルクに移住し、そこで下級官吏の悲哀を描いた痛切な作品『鼻』『査察官』などを大ロシア語で発表した殻ではないかと。>

 なるほど、ゴーゴリウクライナ出身とはしっていたが、そういうことかとかと納得した。田中克彦さんは、小ロシアとフランスのプロヴァンスのアナロジーを展開している。

<一方、プロヴァンスでは、自分たちの言語で書くという運動が高まった結果、プロヴァンス語で『プロヴァンスの少女(ミレイユ)』(杉富士雄訳、岩波文庫)を書いたフレデリックミストラルが1904年にノーベル文学賞を得た。・・・・・ウクライナプロヴァンスも、中央から見下された「地方、田舎、辺境」を意味し、さらに「国内植民地」を暗示していた。>

 田中さんの解説を読むと、ロシアとウクライナの関係がよくわかる。この論文は、非常にわかりやすい記述だ。最後を全文引用する。

 

< この百年の変化(みだし) 
 ウクライナ問題を考える際には、政治の表層を追うだけにとどまってはならない。ロシア革命からこの百年の間に、学問の流れに巨大な変化が生じていた。まず言語学では、ソシュールの共時言語学が文明主義的、権威主義的なインド・ヨーロッパ比較言語学への決別を告げ、アメリカ生まれの文化人類学は、大文明ではなく、個別の文化に関心を移し、さらに日本では柳田国男が、日本の学問がすみずみまで大文明に侵されていくのを横目でにらみながら、ささやかな「常民」の生活に目をこらす民俗学の建設に取り組んでいた。その成果の一端は、『明治大正史 世相篇』(講談社学術文庫)に集約されている。>

 なるほど、こういうふうにウクライナ問題を大きくとらえることができるのか。目から鱗だ。田中さんは、つぎのように結んでいる。

<このような、学問に反映された人間の精神世界におけるドラマチックな転換にプーチン氏は学ばず気づかず、尊大な大文明主義に抵抗する諸民族に、「ナショナリストだ」と罵声を浴びせたのである。>

 ふーん、説得力のある解説文である。プーチン大統領を、「プーチン氏」と呼んでいるのも、抑えた筆致に感心する。
 記憶と記録のため、大幅に引用しながら書いておいた。