TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

都甲幸治さん(アメリカ文学・早稲田大学教授)による書評「しらふで生きる 大酒飲みの決断(町田康)」を読んで。

 町田康さんの「しらふで生きる 大酒飲みの決断」を読みたいと思っている。読まないうちに「書評」が出てしまった。書評の書評ではないが感想を書いておきたい。
 <本来人生は楽しいものである、という考え方自体、根拠がないものではないか。むしろ本来、人生は苦の連続であり、楽しみは「不意に、偶然、訪れるもの」で、人はそうした瞬間を慈しむことしか出来ないのであ。だが、こうした、苦の細道をとぼとぼと歩くみすぼらしい自分、という生の実相から、現代の我々は目を逸らしている。そしえ、酒を飲み、自らの手で歓びを手に入れられると思い込む。だが行き着く先は心身の破綻でしかない。>
 以上は、町田さんの本の引用なのだろうか? 書評の文章は次のように続く。
 <ここまで来て、町田は本書で現代社会全体について考えていることが分かる。酒であれ、インターネットであれ、仕事であれ、我々は生の惨めさが恐くて、死すべき運命が恐くて、何かにハマりこ、むことで現実から目を逸らしている。・・・・したがって本書は決して禁酒の本ではなく、殺伐とした現代の向こう側辿りつくための試みとなっている。>

 評者の都甲さんが、うまく読み解いているのだ。私とても、読まない前から、町田さんの本は「禁酒のすすめ」の本ではない、とは著者の自薦の文章で分かっていた。「しらふで生きる」ようになって町田には見えてきたものがある。「それは草が生えたとか、雨の匂いとか、人のふとした表情のなかにある愛や哀しみといった小さなものである。」
 風邪のためにほぼ禁酒の状態で本日のブログを認めた。大酒飲みでなくとも酔いから冷めたときの哀しみの気持ちを酒飲みはみんな知っているのであるが、酒飲みを止められない。