TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

強制不妊「深い反省とおわびを」―日本医学会連合の検討会が医学界の責任を認める報告(新聞を読んで思うこと)

 標記のタイトルの記事を読んだ。記憶と記録のためにここでまとめておきたい。その前に、に日本医学会から日本医学会連合への組織変更について触れておきたい。

 ■日本医学会から日本医学会連合へ(2014年)■
 日本医学会は、1902(明治35)年、日本連合医学会として創設され、1910年に日本医学会(以下、「医学会」)と改称され、4年毎に医学会総会を開催する自主独立の組織として活動をしてきた。一方、1947年に、日本医師会(以下、「医師会」)が新しく社団法人として再出発したが、GHQが医師会に学術的な機能を持たせる必要があるとして、1948年に医学会の意向に反して医学会を医師会に合流させた。その結果、医学会は医師会の組織の一部となった。歴代の医学会長はこの体制に疑問を感じながらこの関係が最近まで続いてきた。そういう経緯なのかと合点がいった。私は1971年に、医学医療の出版社に職を得た。爾来、日本医学会総会には1971年~退職する2011年までの40年間に開催された日本医学会総会に毎回のように取材で参加いてきた。その他、駒込日本医師会館で時折開催された「日本医学会シンポジウム」にも取材で参加してきた。
 その後、2006年(平成18)年に入り、医学会のあり方を見直す動きが始まり、翌年の定例評議委員会で体制を見直す案が承認された。一方、2013年4月に、日本医師会が従来の定款の内容で公益財団法人とし認められた。このため、「日本医学会」の名称での法人登記が難しいと考えられた。こういう経緯で、医学会は「日本医学会連合」の名称で2014年4月に「一般社団法人日本医学会連合」が発足した。実は、私が医学・医療記者をしていた時代(1981~2011年)にも、医学会総会の取材にいくと、日本医学会が日本医師会の下部組織のような位置づけには違和感を感じた。医師会は職能団体であるが、日本医学会は各種医学会の連合体であるからだ。その意味で、2014年の「日本医学会連合」は自然な流れだろう。

 優性保護法ってなんだ■
 1948年~1996年まで存在した、優生学的断種手術、中絶、避妊を合法化した法律だ。私は1947年生まれなので、翌年1948年からつ最近1996年までこんな法律が存在した。ハンセン氏病の方が強制的な避妊手術をされたことについての裁判のことを新聞で読んだことがある。
 優性保護法は、1996年に母体保護法に改正され、強制手術などの規定は、削除された。厚生労働省によると、不妊手術を受けた人は約2万5千人にのぼり、うち約1万6千人は本人の同意によらない強制手術だった。

 ■日本医学会連合の検討会が責任を認める報告書■
 日本医学会連合の検討会(座長・市川家國信州大学特任教授)が、優生保護法の下で障害のある人らが不妊手術を強いられた問題で、「医学・医療関係者がこれまで問題を放置してきたことは誠に遺憾」として責任を認める報告書をまとめ、門田守人連合会長に提出して、被害者へのお詫びを求めた。報告書では、医学界の関わりを整理し、「医学界全体としての(強制手術に反対する)動きはなかった」と指摘している。また、出世前診断や、ゲノム編集が非倫理的な方向に進まないよう「多方面からの検討が必要」とも指摘している。
 ●強制不妊手術をめぐる経緯

1948年 谷口弥三郎(のちに日本医師会長)らが超党派議員の議員立法で「優性保護法
               」が成立。
1952年 法改正で遺伝性以外の精神障害や知的障害のある人に対象を拡大。
1972年 胎児の障害を理由に中絶を認める優生保護法改正案が国会に提出。優性思想や
    同法に批判が集まる。
1996年 優生保護法が、「母体保護法」に改正。「不良な子孫の出生防止」に関わる条
    項を削除。
1998年 国連人権委員会が被害者への補償を日本政府に勧告。
2016年 国連女子差別撤廃員会が法的救済を日本政府に勧告。
2018年 宮城県の被害女性が国賠提訴。
2019年 被害者に一時金を支払う法律が成立。安倍晋三首相がおわびの談話を発表。
2020年 国会が立法経緯や被害実態の調査を開始。

 興味深い記事を読んだ。今後の推移を見守りたい。今回は、2020年6月26日(金)の朝日新聞朝刊の記事(市野塊、後藤一也、阿部彰芳)を参考にした。市野さんと後藤さんは、医学医療の記者なのだろう。何時もタイムリーですぐれた記事を書いていると思う。