TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」たちの肖像―(122)北風正史さんと第59回日本循環器学会シンポジウム「NOと循環調節―その機序と臨床的意義」 ~1995年4月2日

(122)北風正史さんと第59回日本循環器学会シンポジウム「NOと循環調節―その機序と臨床的意義」~1995年4月2日

 

 第二十四回日本医学会総会が、1995年4月8~9日に、名古屋国際会議場で開かれた。会頭は飯島宗一先生(名古屋大学総長・病理学)だった。このために医学会総会の前後に、各種の医学会が名古屋市で開かれた。
■第59回日本循環器学会■
●1995年4月2日:
 
第24回日本医学会総会の前に、4月2,3日の両日、名古屋市で開かれた第59回日本循環器学会総会(会長=戸山淳治・名大環境医学研究所)へ出張取材に行った。その頃は、『呼吸と循環』という循環器領域の雑誌の編集室の責任者だった。雑誌担当YK氏と、医学書籍分野のAT君と私の三人で取材した。
 日本循環器学会は内科学領域でも最も会員数の多い学会だったと思う。当時の学会員数が18,412人と記録にある。
■シンポジウム「NOと循環調節―その機序と臨床的意義(座長=竹下 彰、横山光宏)」

 こ
の折の学会取材で記憶に残るのが、上記標題のシンポジウムだった。NO(一酸化窒素)は活性酸素フリーラジカルの一つである。フリーラジカルは生体中のタンパク質を変性させたり、遺伝子DNAに傷害起こしたりして、いろいろな病気の原因ではないかと言われていた。
 「門前の小僧習わぬ教を読む」の比喩よろしく、フリーラジカルに関心を持っていた。NOは、心筋虚血において心筋の障害を軽減する、また、虚血の腎においても重要な役割を占めていると言われていた。米国の著名な “Science ”が、1989年から始まった「今年の分子(Molecule of the year)」にNOが1992年に選ばれていた。「今年の分子」は、タイム誌の「今年の人(person of the year)」に倣って、「breakthrough of the year」と改名されている。このシンポジウムを熱心に拝聴した。全貌は記憶にないが、このシンポジウムの発表者の一人に北風政史先生(大阪大学・講師)がおられたと思う。
 この日の夜、北風先生を招いて会食をしながら雑誌「呼吸と循環」の編集方針について相談した。北風さんは、まだ30歳代の若手の医師であった。雑誌の担当者のYK氏が有望な循環器専門家の北風さんを雑誌の編集委員候補に推薦していた。「NOと循環調節」のテーマを、この折に特集企画に推薦いただいた。これが実現したかどうかは記憶にない。
 その後、北風さんには「呼吸と循環」誌の編集協力委員に就任いただいた。以降、10~15年以上もお世話になった。私が職を辞した2011年頃には、北風さんは国立循環器病センターの部長職にあったと記憶している。北風さんは昭和49年京大工学部機械工学科に入学した。3年時終了で、大阪大学医学部3年に編入学して、昭和56年に大阪大学医学部を卒業されている。ユニークな経歴だ。医学・医療へのモチベーションは人並み以上のものだったのに違いない。
 今回の機会にインターネットで北風さんの現況を検索した。2020年4月から阪和第二泉北病院の院長に就任していた。この時期に院長に就任されたということは、新型コロナウイルス感染予防対策にご尽力されているのだろう。本日は古い資料から四半世紀前の記憶を想い起した。私の「医人」たちとの一期一会を感ずる。
(2020.9.4)


私の「医人」たちの肖像―〔122〕北風正史さんと第59回日本循環器学会シンポジウム「NOと循環調節―その機序と臨床的意義」~1995年4月2日)