TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『「脳コワさん」支援ガイド(鈴木大介著・医学書院刊)』をアマゾンで注文したのは何故かについて思うこと

『「脳コワさん」支援ガイド(鈴木大介著・医学書院刊)』をアマゾンで注文した。この本が医学書医院の「ケアを開く」シリーズの一つとして出版されたのは知っていた。またまた編集者の白石さんのヒット作である。どんな本か読んでみたいと思っていたが買うまでには至っていなかった。
 ところがである。昨日届いた「週刊医学界新聞」第3384号に、「高次脳機能障害当事者の内的世界への招待―『「脳コワさん」支援ガイドを読む』という書評が掲載されていたのを読んだ。書評者は上田 敏さん(日本障害者リハビリテーション協会顧問/元東京大学教授)である。上田先生に在職中に随分お世話になった。どこかで書きたい想い出もあるが、シリーズ『私の「医人」たちの肖像』に書きあぐねている。その理由は苦手意識があったからである。
 ともあれ、書評の書評を書く。良い書評である。前にも書いたが、「書評は須らく褒めるものであることが必須である」と、私は思っている。上田さんの今回の書評は絶讃に近い。寄稿とあるから、出版社から依頼されて書いたのではなく、自分で書いて投稿したものだろう。この書評を読んで、先ほどアマゾンで本を注文した。読んでの感想はあとになる。引用しながら、書評の紹介をしたい。

 <『「脳コワさん」支援ガイド』(医学書院)の著者である鈴木大介氏は「社会派」のルポライターで、『家のない少女たち―10代家出少女18人の壮絶な生と性』(宝島 SUGOI文庫、2010年)、『再貧困女子』(冬幻社新書、2014年)、『老人喰い―高齢者を狙う詐欺の招待』(ちくま新書、2015年)、など、「社会的弱者」を守る著書を若くして10冊近く出していた。しかし、過労のためか2015年に41歳で右脳の脳梗塞を発症。しわい麻痺は軽く、すぐに歩行でき、左手の麻痺も間もなく回復したが、左半側空間無視を「はじめとする多彩な高次脳機能障害に大いに苦しむことになる。
 その中で、氏が「ハッ」と」気付いたのは、「自分のこの苦しみは、ルポの対象だった家出少年や貧困女子の苦しみと同質のものではないか!」ということであった。>

 このような自らの「コワれた」脳に気付いたことから書いたのが、『「脳コワさん」支援ガイドである。この本は、プロローグ2部:プロローグ(1) 脳コワさんてなんだろう、プロローグ(2)脳コワさん支援の難しさ、が最初にあり、次に全5章から成る。5章の各タイトルは次のようだ。第1章 病名は違えど困りごとは同じ、第2章 「楽j」になるまでの8つのステージ、第3章 「4つの壁」に援助職ができること、第4章 脳コワさんの生きる世界、第5章 全援助職に臨む支援姿勢。
 内容は読んでのお楽しみである。本が明日到着するので楽しみだ。最後に上田さんの書評の絶賛ぶりを引用しておきたい。

 <リハビリテーション医学の最新にして最後の課題と評者が考える高次脳機能障害について、当事者がこれだけ整理して書いた本書は、リハビリテーション医学への大きな学問的・技術的貢献であると考える。
 本書は支援者にとっても新しい発見に満ちた、「高次脳機能障害当事者の内的世界への招待」である。リハビリテーション、看護、介護、福祉の関係者にぜひ読んでいただきたい書籍である。>

 <付記>ここで紹介した「書評」が掲載されていた「医学界新聞」第3384号(2020年8月24日)には、興味深い記事が他にもあった。1~2面には、「高齢者の健康状態を守るために―コロナ禍で求められる社会的処方」という、近藤克則さん(千葉大学予防医学センター社会医学研究部門教授)と飯島勝矢(東京大学高齢社会総合研究機構長)による対談が載っていた。冒頭の近藤さんの口火を切った発言が正鵠をついている。
 「近藤:私が恐れているのは、感染症としてのCOVID-19 の直接被害もさることながら、「ハイリスクだから・・・」と高齢者が感染を恐れるあまり自宅に閉じこもってしまことによる間接的な健康被害です。うつの発症やフレイル、認知症の進行などが、この被害として考えられます。・・・」
 さらに、この号にはもう一つの興味深い「書評」があった。「世界一わかりやすい『医療政策』の教科書(津川友助介著・医学書院)についての二木 立さん(日本福祉大学名誉教授)によるものである。二木さんは、上記書を「理論と科学的根拠を備えた医療経済学のエッセンス」と称えたあとで、『医療掲経済・政策学の探求』(けい草書房、2018)の併読をお奨めすると自著をチャッカリ紹介しているのが面白い。
 ともあれ、上田敏さん、二木立さん、近藤克則さんと、昭和、平成、令和と日本のリハビリテーション医学を推進してきた懐かしいお名前に接してつい長めに書いた。