TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「対馬丸 語り継いだ母の短歌」という記事を読んだ

 子供らは蕾のままに散りゆけり嗚呼満開の桜に思う

 こう詠んだのは、那覇市の天妃国民学校に勤めていた新崎(旧姓・宮城)美津子さん、事件当時24歳、だ。

 今年の1月のこと、まだ新型コロナウイルスが日本に入ってくるまえに、沖縄県那覇に旅した。その折に那覇市対馬丸記念館を訪問した。戦時中に沖縄から船で疎開する学童らが米軍の魚雷で犠牲になった、対馬丸事件から8月22日で、76年が経過した。生き残った引率の教師であった新崎さんは、自責の念から長い間、口を閉ざしてきた。晩年、事件を語りはじめ、対馬丸の記憶をつづった短歌を残して逝った。その長女の上野和子さんが今年、母親の意志を継いで語りべとなったのだという。

 風化させじ短き命の尊さを語りべとなり世にし伝えん

 和子さんは対馬丸事件の書籍を読み、生前聞けなかった母の思いを知ろうと親族らに話を聞いて回った。母の意志を継ぎ、今年の5月、対馬丸記念館の認定する語り部になった。

 私と私の家内と義妹との三人で、対馬丸記念館を訪れたのは今年の1月29日頃のことだった。少しまえに俳優の吉永小百合さんが同館を訪問していた。その際に託した言葉の色紙を頂いてきた。それにはこう記されていた。

 

 

 

(更新予定)