TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

文藝春秋12月号―『三島由紀夫の「滑稽な肉体信仰」』を読む

 文藝春秋12月号に、<衝撃の「割腹自殺」から50年>という特集記事が載っていたので読んだ。石原慎太郎さんが、『三島由紀夫の「滑稽な肉体信仰」』というタイトルで書いていた。「鍛え上げた身体も、兵隊ごっこもナルシズムだった」と、副題にある。
 この8月に富士山近郊の忍野八海に行った折に訪れた山中湖畔に、三島由紀夫文学館があり没後50周年特集展示を開催していた。観てきた。50年前の1970年11月25日、まだ学生だった私は札幌市に住んでいた。街頭のテレビニュースで、三島自決を知って、友人のRHに電話連絡をしたのを覚えている。この春先に、「三島由紀夫VS 東大全共闘 50年目の真実」というドキュメンタリー映画が上映されており話題となっていた。見る予定でいたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で機会を逸してしまった。
 さて、件の石原さんの論評は極めて厳しく情け容赦ない切り捨てようである。
 「あの事件そのものは滑稽な犯罪だった。鍛え上げた身体も、プライベートアーミーも一種のナルシズムでしかなかった。三島さんもっそれはわかっていたと思う。」
 多分、石原さんの捉え方は一面ではその通りなのだろう。三島由紀夫は45歳で割腹したわけだが、後半は死にむかってひた走っていたとも思える。それにしても、石原さんの書き様は情け容赦がない。こういう書き方はないだろう、との思いも少しある。というのは、石原さんという人を私はすきではないのだ。なんで政治家になんかなったのだろう。結局、都知事の職も最後は投げ出してしまった。かなり、公私混同もしたりして利権を欲しいままにしたんではないかと思ってしまう。小説家のままでいたら良かったのに、と思う。実は石原さんも作家としては行きつまり、政治に寄り道したのではないかと思う。数年前に、政治家を止めた直後くらいに、一人称で「田中角栄」を題材に小説(『天才』というタイトル)を書いていたのを読んだ。やはり文才のある人なのだと感じた次第だった。
 文藝春秋の同じ特集では、もう一人若い作家平野啓一郎さんが、<「豊穣の海」とミドルエイジクライシス>のテーマで書いている。こちらの方が三島へのリスペクトを持った書き方となっている。

(更新予定)