TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

ポストモダン文学って何なのだ

 第164回」芥川賞に宇佐美りんさんの『推し、燃ゆ」が決まったと報道があった。近く発売の文藝春秋(3月号)に載るだろうから読んでみたい。それにしても、処女作の『かか』で文藝賞をとり、第2作目で芥川賞受賞というのは凄すぎないか。まだ、大学2年生(21歳)だという。10年くらい前の、綿矢りささん、金原ひとみさんに次いで3番目の若さだという。
 さて、先頃に読んだ、高橋源一郎さんの「大人にはわからない日本文学史」の中で、綿矢りささんの作品に触れて、「日本の近代文学は綿矢さんの作品によって完膚なきまでにやっつけられた」というようなことを紹介していた。これを読んで、綿矢さんの小説は、『インストール』しか読んだことはないので、他の作品を読んでみたいと思っていた。そこにまた若い作家の誕生だ。74歳の爺である私に理解できるだろうか?
 ということで、先週来、高橋源一郎さんの『ミヤザワケンジ・グレーテストビッツ』を読んでいる。同時に筑摩書房版の「宮澤賢治全集』も引っ張り出して読んでいる。今日は「グスコードブリの伝記」を読んでみた。これはなんなのか読んでみてもわからない。次には、「春と修羅」を読んでみる。同時に宮澤賢治の『春と修羅』も読んでみたい。同じタイトルで書くというのは同いう意味なのだろうか?パロディーだろうか?
 ■ポストモダン文学って何?■

 ポストモダン文学とは、近代文学の特徴に反する特徴をもつ文学のことである、とウキぺディアの説明があった。近代文学は無矛盾性、秩序性、明晰性、簡潔性、建設性、独創性、普遍性などの特徴を持つ。これに対して、ポストモダン文学は物語の矛盾を肯定的に含んだり、時間軸の無秩序性、衒学性、蕩尽性、記号性、全面的破壊、模倣、大きな物語の終焉、普遍性への懐疑、自己の解体等々である、そうだ。なんのことかわからない。要するになんでもよいようだ。
 具体的には田中康夫さんの『なんとなく、クリスタル」、島田雅彦さんの『優しいサヨクのための喜遊曲』、高橋源一郎さんの『さようなら、ギャングたち』がポストモダン文学なんだという。チョットわからんないが高橋さんの本は興味がるの。もう少し読んでみたい。