TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「WHO IS K?」まできたー高橋源一郎『昭和文学盛衰史』

 夏目漱石の『こころ』という小説は高校生の頃に読んだことがある。『明暗』も同じく高校生の頃に読んだ。読みかけの文庫本『明暗』をその辺においておいた。見つけて読んだ親父が「お前、こんなのを読んで分かるのか」と言ったのを覚えている。『明暗』に限らず漱石の小説は、かなり難解なトリックが隠されているようだ。
<前回書いたように、漱石の作品は一種のミステリーとして読むべきではないかと私は考えている。漱石は、たとえば同時代の島崎藤村が『桜の実の熟するとき』で書いたような、現実世界と直接対応する登場人物や事件を待つ作品はあえて書かなかった。だが、同時に、漱石は恣意的な物語を書こうともしなかった。彼は、現実に起こった事件をヴェールに隠して書いたのである。漱石は日本近代文学の誕生に立ち会っている。そのことを我々は忘れてはならない。二葉亭四迷も北村透谷も『破壊』も『布団』もすべて、彼と同時代の出来事だった。彼はそのすべてと並走しながら、彼の文学を生み出した。>
 このように、高橋さんに漱石を解説して貰うと、俄然、『こころ』を読み返してみたい。『こころ』の先生は、たんに悩める人ではないようだ。今回触れた「WHO IS K?」の「K」は一体誰のことなのか?石川啄木の父親の旧姓は、「K」で始まる。啄木も「K」の可能性がある。大逆事件幸徳秋水も「K」である。
 こんなふうに、高橋さんは漱石と啄木があたかも現代に生きているように書いている。これが面白い。佳境に入ってきてかなり核心をついた書きっぷりだ。