TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『ウイルスと人類』(日沼頼夫)を読む

 日沼頼夫さんのウイルスと人類を、箱根仙石原で読んでいる。この本は、平成14(2002)年8月にでている。日沼さんは、1988年に京大を定年退官して、その年から塩野義医科学研究所の所長を8年ほど務めている。『ウイルスと人類』は、日沼さんの講演録やいろいろな雑誌に寄稿した論文あるいはエッセいを一冊にまとめたものである。あとがきがとても印象的なので引用したい。

<大ざっぱに言って、大学で約四十年、その後の企業で約十年の殆ど半世紀にわたって、ウイルスとその感染症の研究を続けてきた。学生の教育という義務もあったが、自覚としては自らの本流は研究であった。
 医学の中の一つの領域「ウイルス学」で自分の科学を創造してきたと思う。
 ウイルスの研究がおもしろくて、それにのめりこんできた人生であった、とも言える。>

 うえの文章を読むと、日沼さんはなんと幸せな人生を送ったものと推察される。「自分の科学を創造してきたと思う」と言えるなんてなんて素晴らしいことだろう。
 履歴によると、日沼さんは,2015年2月4日に、肝細胞癌のために京都市内の病院で亡くなった。享年90歳である。肝細胞癌ということは、もしかしたら日沼さんは肝炎ウイルスを持っていたのであろうか。ともあれ、90歳という年齢は長寿の範疇にはいるであろう。日沼さんの講演を何回も拝聴して記事にしたことはある。しかし、面と向かってお話してことはない。1990年代の中頃に、エイズウイルスの発見の優先権をめぐる米国NIHのギャロとフランスのパスツール研究所モンタニエとの争いに決着がついたときに、塩野義医科学研究所に電話で取材をしたことがある。「エイズウイルス発見の光と影」のテーマで、医学界新聞に寄稿して欲しいと臆面もなく執筆依頼した。その時に、日沼さんが、「そのテーマなら、愛知県がんセンターの小野克彦君がよい」と紹介してくれた。日沼さんのことは、私のシリーズ・ブログ『私の「医人」たちの肖像』のひとつに別途とりあげたいと思う。日沼さんは、件のあとがきでこうも書いている。

<大学にいる間は教科書を書かない、また翻訳書は出さない、という二つのタブーらしきものを自らに課した。何故こんな妙なことをしたか。それには理由があった。研究を仕事としはじめた初期に約一年近く、教科書書きと翻訳の仕事の経験をした。これをやることは学問領域の知識を広げたりまとめたりするのために大いに役立った。しかし、同時に遂行中の自分の研究は必然的にそがれることをはっきりと知ったのである。>

 なるほど、そういうことだったのか。面白い。日沼さんが、携わった「教科書」も「翻訳書」も3年位年長の東北大石田名香雄さん(当時は、東北大助教授)との共著であるのが面白い。若い日沼さんは、一目おき敬愛する石田先輩の奨めを断れなかったのだろう。
 日沼さんの一般向けの啓蒙書『新ウイルス物語-日本人の起源を探る」は、1986年の発行だから、1988年の定年退官2年前である。これは、日沼さんの本流の研究の軌跡であるから例外的な本であったのだろう。

 ■『ウイルスと人類』は日沼さんの「私のウイルス物語」である■

 上記の本に収められた日沼さんの論文、エッセイは、1990年~2000年までの足掛け11年間のに雑誌に寄稿したものや、学会、研究会での講演をまとめたものである。注目したのは「序にかえて」である。これは第23回日本医学会総会特別講演要旨(1991年)となっている。この京都で開催された医学会総会は私にとっても忘れられないものである。3泊4日にわたり京都国際会議場に取材で日参した。この序のなかで、日沼さんは、ATLとエイズという二つのレトロウイルスが明るみになった軌跡を描いている。

(更新)

 

 ■京大 おどろきのウイルス学講義
 日沼さんの本のことを書いていたら、興味深い本の広告を見つけた。『京大おどろきのウイルス学講義』というPHP新書の一冊である。著者は宮沢孝幸という比較的若いウイルス学者だ。「ウイルスとは何か?」を理解するために必読とのことだ。探して読んでみたい。「次に」備えるべきウイルスは?哺乳類の進化を生んだ一億年前のウイルスとは?というようなことが書いてあるらしい。また京大か。福岡伸一」さんも京大だし。本庶さんも、東北大の日沼さんも最後は京大だし、京都は面白い人材を育むのか?