●1984年8月~12月
■国際ウイルス学会議(仙台)■
1984年8月9日(木)の夕方18時~19時30分ころまで国際ウイルス学会議の事前記者会見が東京大手町のホテルグランドパレスで開かれ出席した。今から30年まえ日本で開かれる国際学会は一大イベントであった。まだインターネットも携帯電話もなかった。記者会見は重要な情報伝達手段の一つであった。1984年にはもう一つの大きな国際会議が東京・新宿の京王プラザホテルで開かれた。
■国際細胞生物学会議■
年8月26日(日)の午後14時30分からNHKホールで国際細胞生物学会議の開会式があり取材した。この国際会議に向けては、第1606号で座談会「細胞生物学とは何か」を掲載して、事前の開催告知をしていた。この座談会の企画自体はSH君が担当した。座談会の出席者の陣容は、岡田善雄(阪大教授・細胞工学センター長)、沖垣達(重井医学研究所長、沖垣先生は北大の理学部出身)、藤田晢也(京都府立大学教授・病理学)田代裕(京都府立大学・病理学)、本庶佑(京都大学教授・免疫学)、石川春律(東京大学助教授・解剖学)、三井洋司(東京都老人総合研究所・薬理学)という錚々たるメンバーであった。
担当のSH君が医学書籍部に異動してしまったのでカメラマンのTYさんと私が取材に行った。細胞生物学会は新宿の京王プラザホテルで行われたので8月27日(月)~29日(木)まで連日、京王プラザに取材で行った。この折の取材に基づいて「第3回国際細胞生物学会議」として医学界新聞の第1619号で紹介した。同じ号に利根川進さん(当時は米国MIT)の特別講演「Genetic Strategies for ImmuneRecognition (免疫応答における遺伝学的戦略)」を記事にした。この時から3年後の1987年に利根川さんはノーベル生理学医学賞を受賞した。
■エイズウイルス動向を取材■
国際ウイルス学会議は1984年9月1日(土曜日)~7日(金曜日)まで石田名香雄会長(当時は東北大学教授・微生物学、後に学長)のもと仙台で開かれた。私は5日(水)~7日(金)まで仙台に赴いた。この頃は先輩記者のSH君が既に医学界新聞からは手を引いていたので私は一人で動いていた。この国際会議での目玉の一つがエイズウイルスに関連するものだった。後にHIVと命名されたエイズウイルスは、まだHTLV-Ⅳと言っていた。エイズウイルス発見の優先権を争っていた米国NIHのギャロ(Robert Gallo)とフランス(パスツール研究所)のリュック・モンタニエ(Luc Montagnier)の二人ともが仙台で発表することになっていた。しかしギャロはこの時には来日しなくてモンタニエだけが会議に出席した。
■ワークショップAIDS■
国際ウイルス学会議では5つのシンポジウムの他に、そして追加としてワークショップAIDSが行われた。このワークショップの内容を、「AIDSの原因ウイルス―HTLV-Ⅳ or LAVが有力に」、の見出しを付けて医学界新聞(第1622号)の3面に紹介した。実際その時点ではエイズの原因ウイルスは特定されておらず、HIV(Human Immunodeficincy Virus :HIV)は確定していなかった。その頃(1983年秋)、米国NIHのGalloらのグループがAIDS患者の血液を培養して、HTLV(Human T-cell LeukemiaVirus)に非常によく似ているが異なるウイルスを分離、それをHTLV-Ⅳと命名した。一方、フランスのパスツール研究所のMontagnierらはLymphadenopathyというリンパ腺が異常に腫れる病気の患者から採取した細胞を培養して、そこからやはりC型ウイルスを分離、それをLAV(Lymphadenopathy Associated Virus)命名した。このワークショップには米国からはGalloが所属していたNIHのNCI(国立癌研究所)、同じく米国アトランタのCDC(Centers for Diseases Control)からの研究者が参加した。フランスのパスツール研からはMontagnierが参加した。仙台を舞台にエイズウイルス発見の鍔迫り合いが行われ。このワークショップを紹介した記事の右上に、「ウイルス学上の発見の優先権をめぐって―Gallo(NIH), Montagnier (パスツール研)両博士」という短い関連記事を紹介した。Gallo, Montaigner 両博士の写真も挿入した。Galloの写真は国際細胞生物学会の折にNature誌のAnderson氏によるGalloインタビュー収録の折にカメラマンのTYさんが撮影したものだ。 Montagnierの写真は私が仙台で撮ったものだ。この記事には、Nature誌(Vol.310.9 August, 1984)に掲載されたMontaignerからのレター記事のコピーを一部挿入している。編集部のTim Bearsley に対する抗議の手紙だ。「Nature誌1984年7月19日付の”Dispute over AIDS patent priority”の記事は、LAVを自らが発見する前にGalloからHTLV-4 の提供を受けたというよう印象を読者に与えかねないから気をつけてほしい。反対に我々が1983年7月17日と9月23日にGallo にLAVを提供したのだ。」
■高松宮妃癌国際シンポ■
仙台での国際会議の半月後の1984年11月13日~15日の3日間、「ヒトリンパ腫・白血病に関するRNA腫瘍ウイルス」のテーマで、高松宮妃第15回国際シンポジウムが東京で開かれた。この会議には、GalloとMontagnier 両博士が出席して直接の意見交換がなされた。この両者の優先権争いは1990年代の初めにMontagnier 側に軍配があがり18年後の2008にMontagnierはエイズウイルス発見の業績でノーベル生理学・医学賞を受賞することになる。ちなみに、1984(昭和59)年度の医学関係からの文化功労者に高橋信次、利根川進、多田富雄の各氏が選ばれていた。
■Robert Galloインタビュー■
1984年11月14日(水)は、夕方18時から、Gallo インタビューのメモがある。おそらく、米国のNIH(National Institute of Health)の機関の一つである国立癌研究所(NCI : National Cancer Institute)の研究者である Galloが高松宮妃癌シンポジウムに参加のために来日したのだ。この機会をとらえ、SH君がNature誌のAndersonさんに頼んで実現した。インタビューの場所がどこであったかの記憶はない。パレスホテルの会議室かもしれない。インタビュー終了後にSH君とアンダーソンさんを新宿ゴールデン街のバーに連れて行った。その夜は午前2時頃にタクシーで帰宅した。タクシー代12000円のメモがあった。
当時の記録が見つからないので記憶で記述する。Gallo博士への交渉はNature誌東京支局長のAlun Andersonさんにお願いした。質問項目は用意したが実際はAndersonさんに通訳を頼んで行った。多分、前任記者のSH君も一緒であった。このインビューは「進むAIDSウイルスの解明(R. Gallo)」のタイトルで医学界新聞第1629号(1984年の年末)に掲載した。当時はまだエイズウイルス発見の優先権をめぐる論争の火中であった。このインタビュー記事が手元になく詳細は紹介できない。追って資料が出てきたら再度触れたい。