一昨日(2021年5月22日)は、わたしたちの六人目の孫くんの満2歳の誕生日であった。三女の二男である。招かれて誕生会に参加してきた。楽しい嬉しいこころ温まる機会であった。爺のわたしは「誕生祝」というものを子ども頃に一度も経験したことがない。誕生日が1月7日「松のうち」なので正月の「お屠蘇」に紛れて過ぎてしまうのである。しかも、父方も母方も爺婆は既に他界していていた。四人兄弟の末子であるので、「茄子のうらなり」と言われながら育ってきたのだった。
さて、今日は衝撃的な新聞記事に出会った(朝日新聞朝刊、2021年5月24日)。
「生きる力になれるなら」という見出しの記事(編集委員・沢田伸也さん)。
大分市の大呂遼平君(小学六年生)が、髪の毛のドネーションのyために床屋で黒髪を切って貰っている。こども向けのかつら(ウイッグ)を作るためのドネーションなんだという。遼平君には、難病に苦しんで妹がいる。遼平j君には、4歳違いの双子の妹、結以子ちゃん、理紗子ちゃんがいる。理紗子ちゃんは3歳で、自ら血液を作りだせなくなるり、骨髄移植しか生きる道がなくなった。家族で小学1年生の遼平君だけが、HLA型が一致して骨髄を提供した。ところいが、一昨年、脳に膿がたまり、骨髄移植をした九大病院に入院して、緊急手術をして死の淵をさまよった。「終末期医療として最期を穏やかに過ごすか、肺移植するしか(たすかる道は)ない」と」告げられた。
ここからが、両親の決断が凄い。重い決断のあと、肺移植手術のために、昨年2月、京大病院に転院した。昨年3月に手術は無事に成功した。両親から半分ずつ提供してもらっての生体肺移植だ。つ先日、京都大学呼吸器外科の伊達教授の「生体肺移植」について、このブログでも紹介したばかりだ。コロナウイルス感染拡大の中で、このような先端医療が行われていたのだ。
<理紗子ちゃんは7月に退院し、リハビリに励んでいる。今年2月末には少しだけ歩けるようになった。・・・・・「こっち(右)はパパ、こっち(左)はママがいるよ」と、記者に理紗子ちゃんが指で胸を指しながら教えてくれた。>
この春、理紗子ちゃんは小学三年生にんった。「病院を出られて、学校に行けてうれしい。」
「命」ってなんだろう、と考えた。一方で、幼児虐待の事件が起きたりした。この記事の両親の勇気はどんなだろう。これとおなじことが私にできただろうか?できないだろう。