TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『書きあぐねている人のための小説入門』(保坂和志)を読みながら考えること

 『ラストカムイ』を書いた芦原 伸君の『わがラストラン、北海道―追憶の鉄道紀行』を麻生図書館で借りて来て読みはじめた。これは、著者の芦原君の「想いでの記」と知った。FBで著書の紹介があったので、「図書館にリクエストした」と伝えた。「お前は金持ちだから本を買ってくれ」と言ってきた。「もう物は増やさない主義なので借りて読む」からご容赦となった。彼は北大の同窓生なんだが、この本の中では、札幌での在学中と北大の名称を伏せている。そのほうが収まりがいいのだろう。この本はまだ読みはじめたばかりなので感想は後日になる。
 さて、『書きあぐねている人のための小説入門』(保坂和志)のことに触れる。この本は、多分、高橋源一郎さんの本からの読書連鎖で、保坂和志さんの本に辿り着いた。私はこれから、小説を書こうとしているのではないのだが、保坂さんの「小説入門」を読むと、文章を書くのに意識的になる気がする。高橋さん流「ポストモダン」ではないが、文章を書くということは、「実践の技術」を必要だと気がついた。

「Ⅵ章 ンストーリーとは何か?―小説に流れる時間」を今日は読んだ。
「ストーリー・テラーは、結末から逆算する」っという書き方があるんだという。
「ストーリー・テラーは、結末をまず決めて、それに向かって話を作っていく、ということだ。・・・・・・この「結末からの逆算」の方法は、しかしじつは縮小された形でほとんどの小説に使われている。それは何かというと、”回想”だ。」

 なるほど、その方法を使えば、私にも「自伝的回想小説」が書けるかもしれない。保坂さんは、自分で飽きっぽいと言っている。しかし、実は大変な読書家で、トルストイドストエフスキーチェーホフから小説の書き方の例を引いている。サミュエル・ベケットも読んでいて、ベケットの小説は長くて、作者自身が長編小説「モロイ」を書きながら、気分転換で戯曲『ゴドーを待ちながら』を書いたんだいうエピソードまで書いていた。
 この本を読みながら、「大島弓子作品のリアルさ」というパラグラフではこんなことを書いている。
 <この「解決不可能と思える問題(対立)を最初に提示するという方法をもっともシンプルに先鋭化した作品は、ドストエフスキーではなく、大島弓子の漫画なのでないかと思う。>
 大島弓子さんという漫画家は私と同じく、昭和22年(1947)生まれだ。ドストエススキーの先を行く漫画を読まないでは始まらない。歌人の穂村 弘さんが歌集「シンジケート」の帯に載せる推薦文んを書いてもらうために、大島弓子さんを訪ねていったのだという。大島弓子さんおほかに、田中小実昌さんおことも保坂さんが書いている。小実昌さんの『ポロポロ』(雑誌『海』に連載)のことを「ずっと読み続けていたい小説だった」と紹介している。
 ここまでくると、読書連鎖が続く予感がする。