TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

立花隆さんが亡くなった

 評論家でジャーナリストの立花隆さんが、さる4月30日に亡くなっていた。直接の死因は、急性冠症候群だという。80歳だった。立花さんは、10数年前に腎臓がんを患った。たしか、東大病院で手術した。その闘病記録を記録して文藝春秋に載せていたので私も読んだ。いまから、10年くらい前に私がC型肝炎の管理で東大病院に通っているとき、2階の内科待ち合いのフロアーの長椅子に座って雑誌、たしか「新潮45」らしきものを読んでいるのを見かけたことがある。特徴ある風貌をしているので、「立花さんだ」と声をかけたくなった。その後も、立花さんの仕事の量も質も衰えることはなかった。少しまえに、何処かでの雑誌で、「死ぬことの怖さがなくなった」と仰っていたのを読んだことがある。最近になって、新型コロナウイルス感染拡大が社会的な問題になってきたころ、つまり最近の2年間くらいは立花さんの発言も文章も読んだことがなかった。「どうしたのかな」と思っていた。やはり、立花さんはここ2年間くらいは闘病していたのであろう。「知の巨人」と立花さんのことをいう人がいる。全くその通りだと思う。

■知の巨人 調べて書き続けた■
「知の巨人 調べて書き続けた」という見出しで、朝日新聞夕刊(6月23日)が報じていた。
 「未知の境界を見極めなければならない問題を解くのが好き」だと生前語っていた、のだという。夕方、テレビ報道をみていたら、「職業はなんですか」という問いに対して、「勉強家かな」と応じていたのが印象的だ。本をたくさん読んで調査して書き続けていたのだ。東大の仏文科をでて文藝春秋に入ったが二年間で辞めた。東大の哲学科に学士入学して、一方で、雑誌の原稿を書いて居た。
 「田中角栄研究」(1974年)では、仲間と共に膨大な資料を読み解いたに加え、田中角栄のファミリー企業や後援会などの人脈を相関図にし、データも加えて緻密な分析を行って書いたのだという。
 「調べて書くことは、ジャーナリストに限らず現代社会のあらゆる人々に必要とされること。大学教育では、組織だって教えられることもない欠落部分だ。

 この記事は、次のように結ばれている。山本悠理さんという記者の記事だ。
「人々がインターネットで瞬時に玉石混交の情報を得る時代、「知の巨人」が残した警句、一層重く響く。」

<コメント> 立花さんお疲れさまでした。「死がこわくなくなった」と書いておられた本を探して読んでみます。