TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『在宅ひとり死のススメ』(上野千鶴子)を借りてきた

 『在宅ひとり死のススメ』(上野千鶴子)を今年の1月に広告をみて直ぐに稲城図書館にリクエストした。8カ月たって漸く順番が回ってきた。上野さんは1948年生まれだから私と同年代だ。この過激な(だろうな)女性社会学者は真っ当な発言をしている人だと思う。おひとり様でずっときたのだ。いまから30年位前に長野県の山の中の民宿に家族で泊まった。その宿はいわば隠れ宿のようなところで、上野千鶴子さんが色川大吉さん(あの歴史学者というか社会学者)と泊りにきたことがあったらしい、と宿帳で知った。色川さんは上野さんの学問の師なのかもしれない。それはどうでもいいんだが、つい最近、評論家の樋口恵子さんと上野千鶴子さんとの「対談本」を読んだ。これを読んで頭のいい女性には適わないと感じた。

 <なにより、「かわいそう」「みじめ」という枕詞のつきまとった単身高齢者を「おひとりさま」と呼び替えて、胸を張って自称することができるようになった功労者に上野を数えて欲しいと思います、えっへん。>

 第1章 「おひとりさま」で悪いか?

の中で上野さんが上のように書いていた。「威張るなよ」といいたいが、こういうのを許してあげよう。

 最近、私たちの次女の姑が自宅を離高齢者用の高齢者マンションを購入して引っ越された。「ついに一人になりました」との転居ハガキがきていた。次女の姑には二人の息子がいた。10年くらい前に夫(つまり次女の舅)が急逝された。自宅は二世帯住宅で、姑は長男家族と一緒に10年くらいを同居していた。1階と2階を住みわけていたので理想的な形態に思えた。ところが、孫たち(長男の子ども二人、男の子のみ)が成長していく小中学校年齢になった時に、同居の生活に破たんがきた。姑は身を引く形で夫の残してくれた自宅を長男家族に明け渡して家をでたのだ。これとても、経済的に許される余裕があったから、「おひとりさま」になれたのだ。「おひとりさま」になれて良かったと言うしかない。

「老後はおひとりさまが一番幸せ」とのデータ」

 辻川覚志さんという大阪府耳鼻咽喉科の医師が、『老後はひとり暮らしが幸せ』(水曜社、2013年)という本を出したんだそうだ。この本では、生活満足度(幸福度を置き換えた指標)が最も高いのが、「おひとりさま」<夫婦世帯は別名「空の巣」期とも言われて、子育てを終わった目標喪失のカップルが顔を見合わせる危機の時期。異文化が激突する夫婦世帯では、お互いの生活満足度が低いのも、想像にかたくありません。>

 こういう風な説明を読むと目から鱗である。
 辻川さんは、二作目『ふたり老後もこれで幸せ』(2014)、さらに三作目『続・老後はひとり暮らしが幸せ』(2016)も書いた。辻川さんは、大阪府の住宅地で開業医をしている。辻川さんが、一人暮らしの満足度、不安度などについてアンケート結果をデータで示した。二人世帯の満足度は最低なんだと言う。さらに、「二人暮らしは妻のひとりまけ」なんだという。役に立たない、夫の世話何なんかやりたくないとなるのだ。それはそうだろうね、と私も思う。

 上野さんは、辻川さんの三冊目の本に推薦文を書いた。「辻川ドクターがデータに基づいておしえてくれる真実」
 辻川さんの三部作の本の結論は以下のようだ。
 「結論は、なんと独居に行きついた。慣れ親しんだ土地における真に信頼のおける友(親戚)と勝手きままな暮らしでありました。」

 第2章 死へのタブーがなくなった、

 を読み始めた。2018年の日本人死因は上位から、1位がん、2位心臓血管疾患、3位老衰、4位脳血管疾患だという。「老衰」とは「死因がわからない」というものだ。これといって決めてがないから、「もういいよね」が老衰だという。川崎富作さんも、伊藤正男さんも、「老衰」でなくなった。まさに、理想的な死に方だ。

 フレイルという言葉の意味が分かった。フレイルは虚弱期間ということだ。流行りの健康寿命というのは、平均寿命からフレイル期間を引いた残りだ。フレイルの平均は、男性が8.84、女性が12.35だという。生きていても、フレイルで自分でうごけななくなったら困るではないか。当面の目標はフレイル防止なので、歩くしかないか。
「多くの高齢者は死ぬまでの間に要介護認定を受けるフレイル期間を経験しますので、たとえ望んでも、ピンピンコロリなんてわけにはいかないのです。」

 年寄りの容態が急変したら119番すべきか?

 解答は、「まちがっても119番しないことです。」
 これは、みんな知っていたほうがよい。救急車というと、私には少しトラウマがある。あのサイレンの音がすると苦しくなる。義父の時も、義母の時も救急車を読んだことがある。施設から一時帰宅した、義母に大好きな鰻を食べてもらい、さらにケーキも食べてもらい、疲れたからとその直後に横になって休んでもらった。ところが、誤嚥してしまい窒息しそうになった。救急車で搬送されたが、誤嚥性肺炎で大変だった。齢をとると満腹中枢が壊れて幾らでも食べるので誤嚥が危険なのだと知った。
 「119番するまえに、家族がまずすべきことは訪問看護ステーションに連絡することです。訪問看護ステーションは24時間対応が義務付けられていますから、状況を聞いてどうすればいいかを判断してくれます。」
 訪問看護ステーションのことは知らなかった。この辺りは、栗平の駅前にあるので、電話番号を控えておく必要がある。それから119の前に#119に電話すると、どうすればいいかを指示してくれととも聞いたことがる。

第3章 施設はもういらない!

 「施設が合う、合わないには個人差がありますが、私は施設にもデイサービスににも行きたくありません。集団生活がキライだから。」
 上野さんのいうことはよくわかる。私も年をとってまで知らないところに行きたくない。義母には施設に入ってもらった。ほんとうは行きたくなかったろう。二世帯住宅で部屋もあったのだが、ひとえに、「火の元が心配で入ってもらった。」につきる。それと、世話する娘(家内)との共倒れを恐れてのことだった。
 それでは、サービス付き高齢者住宅ならいいかというと、「要介護」になったらどうしようもないらしい。
 看取りのコストは「病院」ー「施設」ー「在宅
 家賃のいらない家をもっているのなら、自宅に最後までいるのが一番安上がりなんだという。小笠原文雄(医師)が、『なんとめでたいご臨終』という本(小学館、2017)を書いた。この本には、在宅死の値段が書いてるんだと言う。読んでみたい。
 「あらかじめ主治医として訪問医療を受けていれば、医者に立ち会ってもらわなくても死亡診断書は書いて貰えます。」なんだっていう。
「死ぬのに医者は要りません。わたしたち看護師だけでじゅうぶんお看取りができます」なんだっていう。

 ここまで、読んでくると、そろそろ家の近くで、かかりつけ医が欲しい気がする。私は、糖尿病と肝炎(C型肝炎ウイルスを20数年持っていた)、それに胆嚢ポリープ、膵臓の腫瘍、さらに大腸ポリープがあるかもしれない。そろそろ、20.数年お世話になった東大病院から近場のクリニックに主治医を専門医からかかりつけ医にかえなくてはいけない。

 第4章 「孤独死」なんて怖くない

孤独死して発見されるひとへ」

 一般にいわれる「孤独死」というのは、そんなに簡単に起こらない。
孤独死した人々は、生きているうちから孤立した生活を送っています。孤立した生が孤独死を招くので、生きているあいだに孤立していなければ、孤独死を恐れることはありません。・・・>
 っと、上野さんが書いている。孤独死も、そんなに簡単ではおきないのだ。死後処理業を営む吉田太一さんが、⦅遺品整理屋は見た!』(扶桑社文庫、2009年)を出して、「孤独死」という言葉を広めたらしい。
 孤独死の定義は、①単身者が自宅で死んで、②立会人がおらず、③事件性がなく、④死後一定時間以上経過して発見されたもの、となるらしい。

 立ち会人がいないと、事件性とか、不審死扱いになりかねない。しかし、それも心配はないゆおだ。

 歳をとってくると、フレイルつまり身体がままならなくなるので、やはり医師にかかていることがおおいだろう。
ケアマネがつき、主治医がつけば、死亡診断書は書いて貰える。医師法の規定では。「死亡前24時間以内に患者を診察していること」が樹夫県となっているが、現場では、この運用はもっと柔軟で酢。>

 私の母の場合は、長男(私の兄と同居していたが、別棟に一人で寝ていた。そして、朝起きてこないので、兄が見に行ったら、こと切れていた。つまり、数時間前に一人で死んでしまっていた。兄が、主治医(まえに診て貰っていた医師、24時間以内ではない)に連絡して、死後診察をしてもらい、「死亡診断書」を書いて貰えた。(柔軟な運用をしてくれたのだろう。)

死ぬのに「立会人」は必要か?

 孤独死の条件のひとつ、「死ぬのに立会人はひつようか?」ということになると、それまで一人で生きてきた、「おひとりさま」が死ぬときだけ、立会人をもとめるなんてできないことだろう。生きているうちに、最後はひとりで死ぬことを想定しておくことだろう。私は親不幸ものなので、父、母共に死に際には会えなかった。その私が、子や孫に囲まれてしにたいなんて虫の良い話だ。望むべくもないとしっている。

上野さんは。「在宅ひとり死」を広めたいんだという。こうも言っている。
<だが、ほんとうに問題なのは、死後の発見よりも、生きているあいだの孤立だということは、忘れないように死体ものです。>

さて、この本の返却期限が明日に迫ってきた。人気がるので、期間延長ができない。そこで、かいつまんでが概要をまとめておく。

第5章 認知症になったら?
認知症者が独居で在宅で暮らせるか、ですって? 生活習慣が維持できなくなっても、訪問介護に入ってもらえば食事も入浴もできます。・・・・食欲は生きる意欲の基本のキ。食べられるあいだは食べていただいて、機嫌よく下り坂を降りて行ってもらい、・・・・>

 上野さんは、認知症になっても一人でいきていける。そのためには、上手に介護保険をつかえるように準備しておくことのようだ。それと、徐々に身体が弱ってくるのはよいが、転倒して大腿骨骨折なんかにならないよにしないといけない。

第6章 認知症になってよい社会へ

認知症は誰がなるか分からない

 <「2025年問題」のもうひとつの側面は、団塊の世代がすべて後期高齢者に名sることに加えて、「認知症700万人時代」、高齢者の5人にひとりが認知症になる時代だということです。‥‥>
 2025年には、団塊の世代の私たちが80歳を超えて、沢山の人が認知症になるっていくことだ。

「在宅の限界」は本当か?

認知症は自己責任なのか?

 <薬を使わない精神科医として有名な高橋幸男医師が、『認知症はこわくない」で指摘するように、「BPSD」には、かならずそれをひここすきっかえとなる「からくり」がる。>

 毎日歩いて健康にきをつかっていても、なるときにはなるのである。
<当事者の佐藤雅彦さんは、「認知症は不便だが、不幸ではない」といいますし>

 成年後見人をだれに託すか?
 「みんな将来は認知症になる」を前提に

大切なキーワードをゴシックで示した。

第7章 死の自己決定権は可能か?

「人間、役に立たなきゃ、生きていチャ、いかんか」
 そんなことはないのが当然だ。

 松田純安楽死尊厳死の現在」(中公新書,2018)。この本が読む価値あるようだ。

第8章 介護保険が危ない!

 上野さんは、介護保険〔2000年~)は、団塊の世代の成果であるという。ここの章はもう一度読まなくてはいけない。私たちは、いまも医療保健とは別に結構な高い介護保険料を支払っている。だから、上手に介護保険のお世話になる道を探さんくてはいけない。 

「おわりに」で上野さんがこう書いている。これが、結論だ。

 <わずか、10年余で、老後の常識が180度変わってしまった。「子どもと同居が幸せ」から「同居しないほうが賢明へ」。「おひとりさまはみじめ」から、「おひとりさまは気楽」へ。その「常識」を変えた功績のいくぶんかは、わたしにもあったとおもいたいです(笑い)。

 上野さん、その功績は大っきいから笑わなくてよい。そして、この本が沢山うれて印税がはいれば、あなたの老後もこわくない、となる。こう件もある。

 <介護保険を作ったのもわたしたち有権者なら、介護保険をよくするのも悪くするのもわたしたち有権者だからです。>
 ⇒明日には、この本を返却する。もう一度、借りる予約をしよう。

 結論

 私も認知症になるだろう。なんとか、2歳年下の家内よりも長生きをして生ききりたい。そのためには。合気道の稽古と木刀振りと節酒にはげむしかないだろう。町田康さんのように、「しらふで」生きてみたいとある時に思った。ただPPKは難しくて、やはりいつかはヘロヘロになるのだろうか?