TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

東京パラリンピックが開会した

 東京パラリンピックが2021年8月24日に開幕した。東京オリンピック(2020)が無観客で開催されて終幕した。東京オリンッピクと言っても、会場は関東県篇の幾つかの県に会場を求めた。最終日8月8日のマラソンは札幌市で行われた。大通り公園、北大構内もマラソンコースになっていた。
 本日から開催されるパラリンピックについて、記憶と記録のために概要をまとめておきたい。
 パラリンピックには、約160の国・地域から史上最多の約4400人の選手が参加する。東京・国立競技場で、本日の夜に開会式が開かれ、9月5日までの13日間、22競技539種目で競技が行われる。

 本日の朝日新聞朝刊の天声人語に、「日本パラリンピックの父」と呼ばれる中村裕さんのことがでていた。中村さんは、日本のリハビリテーション医学の先駆者のあの整形外科医の中村さんのことだと思う。九大整形外科の天児民和さんのお弟子さんの方だ。
 <1927年、大分県生まれ。国立別府病院の整形外科医だった1960年、英国の病院を訪問し、衝撃を受ける。日本でなら再起不能とみなされそうな患者が半年ほどで退院し、社会復帰を果たしていたからだ。>
<社会復帰の秘訣はスポーツにあった。車いすで卓球やバスケットボールに打ち込み、リハビリ効果を上げていた。「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」。指導を受けたグッドマン博士の理念を体現しようと、帰国直後から奔走。障害者体育大会を開き、1964年の東京パラリンピックでは団長を務めた。>
<別府に翌年、中村さんが開いたのが「太陽の家」。障害者が手に職をつけ、自立する道を作った。入所者は希望を持て、次々と巣立った。「保護より機会を」。そう続けた裕さんは1984年、57歳の若さで世を去った。>
<自伝『太陽の仲間たちよ』という本を残した。「障害者を見世物にするな」と批判されながらも突き進んだ裕さんは、仲間から「中村台風」と呼ばれた。>

 中村裕さんいついては、天児先生の、「整形外科を育てたひとびと」の中で触れているのではないだろうか。調べてみよう。