TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

26年前に阪神淡路大震災が1月17日に起こった―忘れてはいけない

 1995(平成7)年は振りかえり見れば大変な年である。1月17日未明の「阪神淡路大震災」、3月20日の早朝に、「地下鉄サリン事件」が、年の早々相次いでに起こったのである。

阪神淡路大震災

1995(平成7)年、1月17日(火)、午前5時46分、淡路島北端を震源とするマグニチュード7.2の直下型大地震兵庫県南部を襲った。被害は近隣府県を含めて死者5500人、負傷者3万4000人、損壊家屋11万棟に及んだ。ハイカラを誇った阪神間の町々では「文化」が「悲惨」に変じた。科学の粋を集め建造された新幹線、JR、阪神電車、ならびに阪神高速道路の架橋が崩落した。

 今から26年前のことであるから、私は49歳で働き盛りであった。地震の会った、翌日1月18日(水)の早朝には、東京で雑誌「脳神経外科」の編集会議に参加した。この折、現在ほどインターネットも普及していなかったので、関西地区で起きた地震の全貌の全てが伝わっていたわけではなかった。今回、古い資料を整理したら、当時の貴重な資料(冊子)が保存してあった。記憶と記録のために記述しておきたい。
阪神・淡路大震災兵庫県巡回リハビリってーションチーム阪神地区報告書■

 大地震発生に即し、大阪関西地区の医師、理学療法士作業療法士らかなるボランティアが巡回リハビリってーションチームを作って被災地の支援に携わった。報告書は、兵庫県巡回リハ阪神地区担当が、この資料集を発行した(平成7年6月1日)。

阪神大震災における外傷治療上の問題点

 こちらの冊子は、大阪大学関連施設に勤務する整形外科医が、阪神大震災に被災当事者として、また救助にあたるものとして、どのようにかかわったかの記録である。大震災の数か月後に行われた報告会(研究会)の記録のようである。
 杉本  (大阪大学名誉教授)による「阪神大震災における救急医療の問題点」のあと、基調講演の記録が複数載っている。
地震災害に特異な病態」として、山野慶樹教授(大阪市立大学整形外科教授)が、「Crush syndrome とcompartment syndrome」のテーマで講演。この記録は、「臨床整形外科特集号に掲載予定」として、冊子には載っていない。当時(1995年)、雑誌「臨床整形外科」では、阪神震災に関連した特集(誌上シンポジウム)を企画していたのかもしれない。バックナンバーを探してみたい。この冊子は、平成7年7月に発行されている。発行者は、阪大関連施設骨折研究会,住友製薬株式会社となっている。
 この時から16年後の2011年に、私たちは東日本大震災に遭遇した。あれから10年が経過した。「災害は忘れないうちにやってくること」を肝に銘じておきたいものだ。