TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」たちの肖像― 〔100〕日野原重明さんと統合講義「ターミナル・ケア」(於:慈恵医大)と山崎章郎さんのこと ~1991年10月30日

(100)私の「医人」たちの肖像―日野原重明さんと統合講義「ターミナル・ケア」(於:慈恵医大)と山崎章郎さんのこと~1991年10月30日

 

 三十一年の時空を超えて日野原重明先生の謦咳に接した。これを謦咳や肉声というのだろうか?古い資料入れ段ボール箱を整理していて、《1991.10.30. 慈医大テープ 日野原・他》と明示した封筒を見つけた。中身を確かめると二巻のカセットテープがでてきた。一巻は「ターミナル・ケア(45分)」と明記、二巻目は「1991.10.30慈恵医大統合講義」と明記してあった。果たしてこのテープは生きているだろうか?手持ちの古い「ラジカセ」に入れて」スイッチを入れてみた。なんとテープは健在であった。少しシャガレ声の日野原先生の紛れもない肉声が聞こえてきた。雑音が入りあまり鮮明ではない。それでも聞き取ることができる。手帖のメモによると、この日、午後14時40分から17時までの予定で東京慈恵会医科大学の統合講義に招かれて取材にいった。招いて下さったのは橋本信也先生(第三内科)であったと思う。以下、記憶と記録のために書いておきたい。
 「命の選択―延命医学と有終医療」のタイトルを付けて、翌年の医学界新聞・第1986号(1992年3月16日付)に、日野原さんの講義録を編集して掲載した。
統合講義「ターミナル・ケア」
 「統合講義―ターミナル・ケア」の冒頭を、山崎章郎さん(千葉大卒、当時は八日市市立病院医長)が書いた「病院で死ぬということ」の紹介から日野原さんは始めた。山崎さんは、まだ若い医師であった。勤務先の病院で従事した「ターミナル・ケア」の医療経験から『病院で死ぬということ』という本を書いた。この本が巷間の評判を呼び、第39回日本エッセイストクラブ賞を受賞したばかりだった。
 「人の九十パーセントは病院で死ぬ。逃れ得ぬそれらの死の有様について現役の医師が告白的に手記を書いた。これが『病院で死ぬということ』という本です。」
 山崎さんが、そのあと医師としてどのように歩まれたかを、山崎さんの著書や諸々の報道記録により、私たちは辿ることができる。このブログでも「大和臨床懇話会」に言及した際に、登壇した山崎章郎さんに触れたことがある。そして、山崎さんは現在、ステージⅣの大腸がんと闘っている。『ステージ4の緩和ケア医が実践するがんを悪化させない試み』という本を山崎さんが出版した(「新潮選書」、2022年)。上記で触れた本を読んでから山崎さんについてはまた言及したい。それにしても、私の資料からでてきた「日野原先生の生の声」は貴重なものではないかと思う。テープからデジタル(スマホ)に移したので改めて聞いてみたい。
(2022.11.26)

(私の「医人」たちの肖像―〔100〕日野原重明さんと統合講義「ターミナル・ケア」(於:慈恵医大)と山崎章郎さんのこと~1991年10月30日)