TomyDaddyのブログ

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私の「医人」達の肖像―(162)向井紀二さんと「ビゲロー三代記、日本の美術に魅せられたW.S.Bigelow(向井紀二訳)」~ 1987年1月

(162)私の「医人」達の肖像―向井紀二さんと「ビゲロー三代記、日本の美術に魅せられたW.S.Bigelow(向井紀二訳)」~ 1987年1月 

 古い資料を整理していたら、1986(昭和61)年12月19日消印の向井紀二さんからの封筒がでてきた。向井さんの所属は「国立がんセンター腫瘍遺伝子研究所」であった。向井さんはハーバード大学在籍のまま国立がんセンターの病理部におられたのだった。この封筒は標記の論文(というよりエッセイ)の校正往来かもしれない。

 そこで、医学界新聞のバックナンバー(目次)を調べると、1987年1月の第3号(第1732号)に標題「ビゲロー三代記、日本の美術に魅せられた W. S. Bigelow(向井紀二訳)」の寄稿文が掲載されていた。バックナンバーが手元にないので、どのような内容であるのかは確認できない。記憶の片隅に向井さんに「ビゲローとフェノロサ」について執筆していただいたことは覚えていた。アーネスト・フランシスコ・フェノロサ ( Ernest Fransisco  Fenollosa;1853~1926)は、米国の東洋美術史家、哲学者で、明治時代に来日。お雇い外国人として1987年に来日して、東京大学で哲学、政治学、経済学などを講じた。日本美術を評価し紹介につてめている。岡倉天心との交流も有名である。フェノロサについては多くの成書で知ることができるが、ビゲローについてはフェノロ先ほど知られていなのではないだろうか。

 今回ここで触れた向井さんの寄稿文「ビゲロー三代記」は「向井紀ニ訳」となっている。ということは件の文章は向井さんが書いたのではなく、訳したもののようだ。医学界新聞のバックナンバーは東大医学図書館で閲覧できるのだが、現在はコロナウイルス感染拡大予防のめに部外者は図書館に入れない。後日、バックナンバーで件の寄稿文には触れることにして、ここでは私なりにビゲローについて書いてみたい。

ビゲロー三代■

ジェイコブ・ビゲロー(Jacob Bigelow;1787~1879)
 医師、植物学者。マサチュウセッツ州サドベリー生まれ。ハーバード大学を1806年卒。ペンシルベニア医学校で学ぶ。1820年に「アメリカ薬局方」を編集した五人の一人。「アメリカの薬用植物(1812~1820)」の著者。

ヘンリー・ジェイコブ・ビゲロー(Hnery Jacob Bigelow;1818~1890) 
 医師でアメリカ芸術科学アカデミー総裁のジェイコブ・ビゲローの子。米国で初めて股関節手術を行った著名な整形外科医。

イリアム・スタージス・ビゲロー(William Sturgis Bigelow;1850~1926) 
 米国の医師で、日本美術の研究科家、仏教学者。1874年ハーバード大学医学部卒。1881年エドワード・モースの講演を聞いて日本に興味を抱く。1882年フェノロサと共に来日。日本美術を収集し、帰国後の1890年ボストン美術館理事に就任。フェノロサの逝去の翌年1909年、勲三等旭日章を受勲する。1911年にビゲローの収集品はボストン美術館に寄贈された。

▶「ビゲロー三代記」執筆依頼の経緯ー雑誌「臨床外科」のあとがきー阿部令彦さん
 
医学書院発行の雑誌「臨床外科」第40巻12号(1985年11月)に、同誌の編集委員の阿部令彦(あべおさひこ)さんが、「あとがき」において、”かけはし”というタイトルで、Harvard 大学教授 Dr. Burkeと Hnery Jacob Bigelow、さらにフェノロサのことに触れていた。少し長くなるが引用しておきたい。

 <第14回国際化学療法学会に出席のために来日されたHarvard 大学享受Dr. Burke夫妻と共に大津の三井寺を訪れたのは、薄雲の間から漸く青空がこぼれるように見えた初夏の一日であった。梅雨に洗われた山の緑が一層鮮やかさを増し、琵琶湖は満々と水をたたえて美しかった。Prof. Burke 夫妻を見寺にご案内したいというのは、博士の化学療法学会出席を知った時からの私の願いであった。この寺が三井の晩鐘や山門の美しさ等で有名であることは申すまでもないが、私にはもう一つ秘かな計画があったのである。
 Hnery J.  Bigelow(1818~1890)はもともとHarvard大学の外科医であった。フェノロサと親交を結び。彼の影響を受けて日本美術の美しさにひかれ、その研究が進むにつれて外科医としてよりも美術家として名前が知られるようになった。今か100年も前に、東洋の小国日本の名をその美術的価値に於いて世界に広めたことは大きな功績であり、フェノロサと並んで日本美術界の恩人といえよう。彼は三井寺を非常に愛した。特に法名院の古い庭が持つ東洋的神秘さと、木立の間から見る四季折々の琵琶湖の景色を好み、フェノロサと共に法明院の一角に住んだ。美術にはあまり縁のない私がこのような事実を知ったのは、あるきっかけがあったからだが、今は大津の土地のひとも知るひとは少ない。Prof. Burke はこの話に非常に驚かれた。そして、フェノロサ、ビゲロー共にその死後彼らの遺言によってこの法明院に埋葬されていることを知って更に感激を深めた。Harvard 大学の構内には、今もビゲローを偲んで、Bigelow Bld. があり、ボストン市内には Bigelow Street があるが、日本で彼の墓に参るなど想像もしなかったことだろう。(中略)

 フェノロッサ、 ビゲロー、そして現代に至って Prof. Burke が人生のある時期を過ごしたボストンは私自身も二年間の研究生活を過ごした土地であるが、我々が時代や人種を超えてある種の共通した意識で結ばれていることを感じたのは私だけではbなかった。彼らが日本の美を求め、心から日本を愛した気持ちの温床となったのは、あのニューイングランド特有の気候、風土、美しさの中で育まれたもののように私には思えるのである。先日、Prof. Burkeにとてこの日が忘れられぬ一日なった旨の手紙を受て私は嬉しかった。(阿部令彦)>

 上にひいた阿部さんの「あとがき」は、一雑誌の編集後記だけではなく、すぐれたエッセイでもある。このような「あとがき」に接すことができるのが、簡潔と速報を第一義とする電子媒体と紙の雑誌の違いだろう。この「あとがき」を読んだ私は、ボストン在住の向井さんに「ビゲローについて何か書いてほしい」と執筆依頼したものと思われる。それに対して、向井さんからお返事がきた。

<・・・ところで、いつか臨床外科の編集後記でKOの阿部令彦先生がビゲロー親子の混言をされました折、ビゲローについて何かと野の富永さんからのサジェスチョンがああった様に記憶しています。帰米後、ハーバードの古医書部のリチャード・ウルフ部長を介して、二、三の文献をめくっていますと、今年(1986年)の十月六日がビゲロー(息子の方)の没後60年に当たり、この知られざる日本美術文化交流のトップ・チャンピオンについて十枚程の短文をお送りしてもよいと思い葉はじめています。ハーバードの公衆衛生部の創始者であり在職50年の有名なシャタック先生が読まれた弔辞がマサチュセッツ歴史協会雑誌に掲載されており、この名文を中心としてビゲローの(医師としての)ユニークな功績について書いてみても面白いかもしれません。ご意見をお知らせください。当地の五大誌は連日AIDSの記事、それからコカインの常用の若年層におよぼしつつあるおそるべき弊害について書き連ねています。・・・・ 1986年7月21日 向井 >

 1985年には、当時の中曽根内閣が主導していた「対がん十か年総合戦略」(癌研究を進める国家プロジェクト)研究者として、向井さんは日本に滞在していた。上記の手紙は翌、1986年に米国ボストンに戻ってからの航空便だ。これに対して私の返信のコピーがあった。次のようだ。

<向井紀二 先生
 拝復 盛夏の候お変わりございませんでしょうか。さて、7月21日のお手紙ありがとうございました。早速ですが、ビゲローについてのお原稿、是非、よろしくご執筆の程お願い致します。ただ、幾つかの疑問があります。すぉれは、①Bigelow(息子の方)は、フェノロサと親交のあった美術家とのことですが、彼は父のHenry J.Bigelow(1818~1890)とちがって、医師ではなかったのでしょうか? ② Bigelow(息子)の死に際して、シャタック先生が弔辞を読まれたのは、父 Henry Bigelowからの縁からでしょうか? ③ Fenolossa は、1853~1908年に生存しており、Bigelow(息子)の没後60年が今年の10月6日とすると、(没は1926年?)、Bigelow 父、息と共に Fenolossaと同時代に生きており、共に親交があっても不思議でありません。
 そこで、日米文化交流のチャンピオン Bigelow(息子)、有名な外科医としての父 Henry  Bigelow、両方をからめてご紹介いただければ一番よいと思います。Harvard

大のBigelow Bld. またボストン市内の Bigelow Str. は共に父 Bigelow に由来するものなのでしょうか?ともあれ、ご脱稿をお待ちいたしております。
 1986年8月15日 富永悳夫>

 上に引いた私の「返信」はなんとピント外れのものだろうか。当時、インターネットはなかったが、百科事典で調べれれば「ビゲロー三代」の違いは分かったはずだ。三代目ビゲロー(Williams Sturgis Bigelow) こそが、有名な外科医であり、フェノロサと共に来日して、三井寺に埋葬されている。こんなことは明白である。そのことも把握できていな盆暗(不見識)な編集者だったのだと忸怩たる思いを感じる。

 ともあれ、向井さんの件の「ビゲロー三代記」を読み直してみたい。この頃(1985~1987年)、私はまだだ駆け出しの新米医学記者であった。向井さんとの交流は私の修行時代の記憶だ。向井さんは1926年(大正15年)和歌山県生まれ。1988(昭和63)年12月に逝去(62歳)された。

(2022.11.29)

(私の「医人」達の肖像―〔162〕向井紀二さんと「ビゲロー三代記、日本の美術に魅せられたW.S.Bigelow(向井紀二訳)」~1987年1月)