TomyDaddyのブログ

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映画「われ弱ければ 矢島楫子伝」をこれから観ますー良い映画であった

 映画「われ弱ければ 矢島楫子伝」のチケットは、前回、川崎市麻生区文化センターで、一昨年に、映画「一粒の麦ー荻野吟子の生涯」を見た際に購入した。ようやく上映日がやってきた。上映の冒頭で、山田火砂子監督が挨拶された。小柄で91歳になるのだという。矍鑠としている。頭も明晰だ。「げんだいプロダクション」を作ったプロヂューサー(監督)の夫の   氏が逝去されたあとで「私がやるしかないだろう」と跡を継いで監督になったのだという。「女は強いを地でいっている。映画そのものは、「ださい」というような場面のちぐはぐな演出もあったが、取り上げた中身に感動した。主人公矢島楫子の

「使命とは、命を使うことです。自分の命は、自分で使うのです。」

 という言葉がすごいと思った。矢島を演じたのは、常盤貴子であった。
 記憶と記録のために、山田監督の映画にかけた思いを再掲しておきたい。以下は引用である。

<矢島楫子は1833年に、現在の熊本県に生まれた。38歳まで武士の妻であった。洗濯の」たらいも男女を分けるなど、極端な男尊女卑の社会で苦労を重ねた。家族への度重なる乱暴を引き起こす酒乱の夫に、身の危険を感じた梶子は、すえの娘・達子のみを連れて家を出て実家に戻り、自らの黒髪を切り落として離縁状を叩きつけた。女性の側から離縁を堂々と申し出た初の女性が矢島楫子であった。梶子の甥には、徳富蘇峰徳富蘆花がいる。

 上京して小学校の教員になった楫子は、ミセスツルーというアメリカ人の先生から、女学校の校長先生の仕事をすすめられる。そして、その影響で洗礼を受け。クリスチャンとなり、その後、現在もある「女子学院」の院長になり、教育界で押しも押されぬ貢献をする。1886年、日本キリスト教婦人矯正会の全国組織を結成して、初代会頭となった。一夫一婦制、婦人参政権、禁酒、廃娼運動など、たくさんの活動に関わり、女性解放運動の元祖と言われている。そして、90歳の時にアメリカで軍縮会議に出席して、世界平和を訴えた。明治大正という、女性がひとりの人間として尊重されることのなかった時代に、女子教育に力をそそぎ、女性解放運動に生涯をささげたのが矢島楫子である。>

 時代的には、相馬黒光と重なるのだろう。相馬黒光は、1876年生まれで1955年に亡くなっている。荻野吟子は、1851年生まれで1913年に亡くなっている。伊藤野枝は、1895年生まれで、1923年に亡くなっている。

 

 

 

続く