小島信夫さんの『私の作家遍歴』をⅠ から読んできていたが、途中で、わき道にそれて別の本に移っていた。小島さんは、この本を小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の項目から書き始めていたが、途中から、ゴーゴリ、ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフ、等々、ロシアの小説に言及することが多くなった。言及どころでなくて、長い引用をしながら、ゴーゴリ、ドスト氏の主人公に成り代わってしまうようでもあるのだった。ロシアーウクライナ戦争が去年の2月に始まってからロシアも、ロシア文学も分が悪い。ロシア文学とプーチンは同じではない。むしろ、トルストイなどは戦争反対の平和主義者の代表であるのだというのに。
さて、いま読んだ「見過ごされる出来事」も、ゴーゴリの「分身」に準拠して語っている。小島さんは、本を読みながら本を書いているのである。小島さんのこの本を読んでいると、文章は読みながら感想を書きながら知の遊戯をしているようにも感じられる。その流れるような饒舌な文体がなぜか快い。読書の楽しみは其処にあるのかもしれない。