TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「感情こそ知性である」(『脳科学者の母が、認知症になる』)を読み終えた

「感情こそが知性である」というこの章が、『脳科学者の母が、認知症になる』という本のハイライトであった。

 <アルツハイマー病の人たちには感情が残ってる。物事が正しく彼らに伝わったときには、彼らは以前と同じような感情的反応をする。そのようなとき、確かに私は「母はここに居る」と感じる。>

 アルツハイマー病になった母と2年半に及ぶ生活の中で脳科学者の著者がたどり着いたのは、母にはそれまで通りの「感情」が残っているということであった。
  <感情は、生まれつきの個性であり、また、認知機能と同じように、その人の人生経験によって発達してきた能力であり、いまだに発達し続けている能力である。

 著者の恩蔵さんの言葉(ゴシック体)はなんと素晴らしい指摘であろう。これまで認知症アルツハイマー病)になると全てが失われると思っていたが違うのだということだ。ここで、認知症になった長谷川和夫さんの言葉を想い起した。長谷川さんも「認知症になった自分はそれ以前の自分と連続している」と言っている。その人らしさというものは連続しているのだということだろう。

<コメント>
 本日は合気道の土曜日稽古の日であった。午後13時から15時まで、仲間と一緒に合気道の稽古をした。本日は、双手取りからの各種の技の稽古をした。美しい稽古、楽しい稽古をするなかで末梢血管が温まってきて神経が活性化するのを感じた。帰宅して夕食後にシャワーを済ませてから本書の最終章「感情こそ知性である」を読み終えた。目から鱗が落ちる感じが少しした。アルツハイマー病になればもう絶望との認識でいたのが誤りであるとわかってきた。今から40年前、私が医学記者をしていた頃、米国の週刊雑誌"News Week"が大々的にアルツハイマー病の特集をしたのを読んだことがある。その頃のアルツハイマー病になれば、その人の人生のスクラップ・ブックをが全て失われるというようなミゼラブルな取り上げ方をしていた。それは正しくないとわかってきたのだ。本書を読みながら、若年性アルツハイマー病になった脳外科医で元東大教授の若井晋さんのことを思い出した。若井さんは、私と同じく群馬県(彼は前橋市)の出身で、若くして脳外科の教授(独協医科大学)になり、その後、国際保健の領域に転じて東大教授になった。その頃に、自らがアルツハイマー病になったことを公にしていた。
 『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(若井克子、講談社)という本を奥様が書いている。この本を読んでみたいのでここに記録した。
 もう一つ、恩蔵さんが最近(2022年)に出した本を以下に紹介しておく。

『なぜ、認知症のひとは家に帰りたがるのか』(恩蔵絢子、永島徹、中央法規)