TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『脳科学者の母が、認知症になるー記憶を失うと、その人は”その人”でなくなる?』(恩蔵絢子)を読み始めた

 『脳科学者の母が、認知症になるー記憶を失うと、その人は”その人”でなくなる?』(恩蔵絢子)は2018年に河出書房新社から出た本だ。読み始めた。タイトルの、副題の「?」を読み解くと、「認知症になっても、”その人”は、”その人” のままである、ということだ。認知症になった義母のHさんのこと、旧友のRBのことを想い起した。この本は以下のような章立てだ。第4章まで読んだ。

(1)65歳の母が、アルツハイマー認知症になった

(2)アルツハイマ―型認知症とはどういう病気か

(3)「治す」ではなく「やれる」ことは何かー脳科学的処方箋

(4)「その人らしさ」とは何かー自己と他者を分けるものは

 以上まで読んでみて、第4章の記述が興味深い。「認知能力が失われても、残るものは何か」の項にこういう記述があった。

 <認知症は、「記憶が失われ、家族の名前も、顔も忘れてしまう、自分が自分でなくなってしまう病気」「自立性が失われ、大事な人の重荷になる病気」「治る薬がない病気」。こえはある意味、それだけ聞くと、本当に恐ろしい気持ちになるだろう。>

 身近に認知症の人を持ったことがある。82歳で亡くなった私の母も最期の2年位は認知症であったのだろう。久しぶりに私が故郷の群馬県の田舎に行ったとき私の顔おみても以前のように嬉しそうな顔をしなくなっていた。93歳で亡くなった義母も最後の頃には二人いた娘の区別がついていなかったようだ。
 作家の耕治人の『どんなご縁で』には、認知症になった妻が献身的に介護をする夫を認識できず、「どんなご縁であなたは私に優しくしてくれるのか」と問いかけたからのタイトルだと聞いた事がある。 
 「認知症患者は自分の状態をどう感じているのか」にも興味深い記述が多い。
 < ・・認知症を持つ人々は、自分たちなりに状況を理解し、その状況に必死で適応しようとし、症状が進めばまた適応し直そうとする、生に積極的な人々だったのである。>
 つまり、認知症のかたは、「自分が認知症になったことを知っている」のである。「なにがなんだか分からなくなってこまってしまい、だからこそ、話の辻褄を自分で合わせようとする」のである。義母の場合も、自分の間違い、わすれたことを胡麻化そうとしていた風に見えた。自らが認知症になったことを認めて公開した認知症研究の先駆者の長谷川和夫医師(さん)は、「認知症になった自分とそれ以前の自分は連続性がある」というようなことを言われていた。

 第4章の最後の「アルツハイマー認知症の人々の社会的感受性」の項目にも興味深い記述がある。
 <人間は、どんな状態に置かれても、残っている脳部位を使って、自分を守り、生き抜く「適応」をする。>
 こういう記述を読むと、もし私自身認知症になっても、あるいは同伴者のYが認知症になっても切り捨てる、蔑んだりするのではなく、「どんなご縁で・・・とやさしく真摯に接するのがよいだろう」と思う。1724年生まれの哲学者のエマニュエル・カントは最晩年に認知症になっていたらしいという。私もお目にっかったことのある元東大教授の大井玄さんに『呆けたカントに「理性」はあるか』という本があるらしい。随分と失礼なタイトルの本だが読んでみたい。

(本日は、ここまで)