TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『養老先生 再び病院へ行く』(養老孟司、中川恵一、エクセウナレッジ、1400)を借りて来て読んだ ~「何事も順送り」

 何年か前に『養老先生、病院へ行く(養老孟司・中川恵一)を読んだのかもしれない。養老さんは言わずと知れた『バカの壁』で有名な元東大医学部教授(解剖学)だったひとだ。東大を定年を待たずに辞めてあとは本を書いたり、好きな虫取りをしてながら優雅に暮らしている。もともと鎌倉の内科医師の母親に育てられたと何かに書いているのを読んだ。鎌倉の有名な高校(栄光学園かな?)から東大医学部に入った。医学部出たが臨床医にはならずに解剖学(基礎医学)を専門にした。生身の人間ではなく死んだ人間と付き合ってきた方だ。父親は早くに亡くなったが母親が医師であったので何不自由なく育ってきたと拝察する。幼い頃から勉強ができて東大教授になって親の鎌倉の家を継承して箱根に虫の標本を収納してかつ虫取りができる別荘を持っている。本が売れてているから裕福でもあるのだろう。この私よりも10歳年長(1937年生まれ)の養老先生は親ガチャにも恵まれている。おまけに「まる」なんていうネコまで飼っていた。ネコ好きのひとなのだ。私は猫は大嫌いである。それなのにこの本をひと息に読んでしまった。共同執筆者中川恵一さんは東大の放射線科教授だったひとだ。私が現役で医学系出版社で働いていたコロナ中川さんはまだ若くて講師くらいだった。中川恵先生は私よりも一回りくらい若い。
 この本を読んでみてあたり前のことを語っているとの印象だ。養老さんの考えで同感したところを引用する。

< 「終活」は美無意味、何事も順送り

 死ぬ前に物などを処分して整理する「終活」が流行っていますが、僕はこれも意味がないと思っています。死という自分ではどうにもできないことに対して、自分でどにかしようと思うのは不健全です。
 生まれたときも、気付いたら生まれていたわけです。予定も予想もしていなかったことです。死も「気が付いたら死んでいる」でよいのではないでしょうか。しかも死んでいることに自分が気付くことはありません。
 僕もこれだけ虫の標本を持っていますから、「死んだらどうするんだ?」と訊かれます。そんなことは知ったことではありません。・・・・何事も順送りです。残された者は大変だけど、そういことが順送りに繰り返されるます。それが人生というものでしょう。>

 ああ、こういう考えもあるんだ。達観というのだろうか。「終活」に時間をかけるように今の今を懸命に生きよということだろう。