TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「病という才能」と立花隆さんんのこと ~立花さんを見かけたのは何時かな?

 先日、何故か立花隆さんのことを思い出した。それはこういう連想からだ。『私のC型ウイル肝炎物語―ウイルスと共に生きてきた』という私の日録に基づいてまとめた文章を恩師の城田俊さんにお送りした。パソコンで書いてプリントした私家版の原稿である。面白い「作品」だと過分のお褒めをいただいた。そうか、日記や日録でも形にして第三者の目に触れれば「作品」となるかと目から鱗の気がした。高橋源一郎さんの「日本文学盛衰史」も島尾敏雄さんの「死の棘日記」も日録のようなものとして読むこともできる。文章の形はなんでもいいのかもしれない。そんな連想の中で五年くらい前に東大病院ニ階の内科診療待合ロビーで立花隆さんを見かけたことを思い出した。立花さんは少し前に腎臓がんを患っていてその治療記録を雑誌「文藝春秋」に寄稿しており、読んだことがあった。立花さんは腎臓がんがわかったときに「書くテーマができた」と書いていたような気がする。「病という才能」を授かったと思ったのだろう。その意味からすると私のC型肝炎も病という才能をいただいたようなものかもしれない。立花さんは「知の巨人」と言われたひとで沢山の本を書かれた。「田中角栄」について書いたことは何だったんだろう。後世に残る仕事というか、書いたものは芸術としての評価にあるのだ。夏目漱石というか太宰治というかその人の小説にせよエッセイにせよ残るものは「人としての本当のことに迫ったもの」であるところなのかもしれない。

 さて、本日は合気道の稽古の日。胸取りからの各種の技の稽古をした。Nさんとの稽古で気づきがあった。結局、合気道は姿勢が正しくないといけない。やはり「下実上虚」がすべてである。下半身が充実していて上半身の力が抜けていると自然体で姿勢が良くなるのである。そのことに気が付いた。

 本日の気になる本を昨日の朝日新聞の広告から書く。

(1)『一神教と帝国』(内田樹中田考、山本直輝、集英社新書、1056円)
 「オスマン帝国の終焉から100年、穏健なイスラーム主義に回帰するトルコ。ウクライナ、ガザ情勢で調停者としてふるまうこの国を通し、今後の日本の道筋を構想する。」

 という本らしい。読んでみたいので記録した。