TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

トイレ考!



 今日もトイレ掃除をした。週に2回―原則として水曜日と土曜日の朝9時から2個所の掃除に40分くらいを費やす。63歳で定年退職をして呑気に自分史を纏める準備をしていたら、何の因果か2015年(68歳)の夏に連れ合いのBさんが倒れた。その時からトイレ掃除は私の担当になった。Bさんが倒れてみると日常生活というか家事が如何に重労働でかつ創意工夫を要するものかを実感している。
 そこでトイレ掃除だが,まず普通のブラシとトイレ洗剤のほかにタオル雑巾を3種類用意する。一枚はトイレの窓・ファン・壁面当を拭く。2枚目は便座・便器を拭く。三枚目ではトイレの床を拭く。トイレが舐めるように綺麗になると心が洗われるが気分になるから不思議だ。
 「おトイレ」なんて綺麗ごとを今は言っているが、私が育った家のトイレは「ボットン便所」でかつ母屋とは別棟の庭先にあった。「ボットン」の意味が今どきの人に分るだろうか? 雨の日は傘をさして用足しに行った。そもそもトイレの呼称は英語からの借用であり、日本語では「ご不浄」「雪隠」「かわや」等々の呼び方がある。いずれにしても必要不可欠なものであることには変わりはない。
 ところ変われば品変わるで外国に行くとトイレも様々である。40数年前に旧ソビエト時代のロシアのペテルブルグ近郊の小学校には大便用のトイレに囲いがなかった。駅のトイレの入り口にはトイレ番人(なぜかお婆さんが多かったと記憶している)が座っていて小銭を払わないと使用できなかった。7~8年前にイタリアのシシリー島に行ったが、ここでもトイレは有料で常に小銭を携帯する必要があった。今でもヨーロッパの田舎町のトイレ事情はあまり変わらないのではないだろうか?
 それに比して日本の駅のトイレの大変身には驚くばかりだ。私は川崎都民であり長い間、新百合ヶ丘から小田急線で新新宿を経由して文京区の本郷まで通勤していた。10年くらい前でも駅のトイレは「不浄」そのものだった。早朝に駅のトイレに行くと前夜そこでお泊りしたオジサンのダンボールが敷いてあったりした。ところが数年前から、新宿とくに小田急線駅近くのトイレはピカピカなのだ。小便器の形も飛沫が飛ばないように細身のデザインになった。大便器に至ってはウオシュレット付きで便座も綺麗で少し座ってお休みして行こうか思ってしまう位だ。最近は外国に行っていないので明確に比較は出来ないが、日本のトイレは世界一ではないだろうか?