TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「私のC型肝炎物語」第1章:非A非B型肝炎ウイルスからC型肝炎ウイルス(HCV)へ―(2)非A非B型肝炎ウイルス発見(米カイロン社)1988

(2)「私のC型肝炎物語」 第1章: 非A非B型肝炎ウイルス(NANB)からⅭ型肝炎ウイルス(HCV))へ― 非A非B型肝炎ウイルス発見(米カイロン社): 1988年

 

 1988年1月7日に私は満41歳になった。東京文京区本郷にある医学書院発行の「週刊医学界新聞」の記者として、エイズウイルスの感染拡大の動向と共に、「非A非B型肝炎ウイルス」の発見に至る経緯を追いかけていた。関連した学会や研究会の取材に加えて、日刊紙や週刊誌で関連記事を切り取ってスクラップブックを作っていた。その数冊が今も手元にある。

非A非B型肝炎―ウイルス発見―米社■

  • 1988年5月10日:

 「非A非B型肝炎―ウイルス発見―米社」の見出しが目に飛び込んできた。1988年5月10日(火)。朝日新聞朝刊に画期的な記事が掲載された。

「米国の生命科学研究社、カイロン社は十日、輸血によって感染する非A非B型肝炎のウイルスの発見と、その主要な抗原たんぱく遺伝子のクローニングに初めて成功したと発表。同社はさらに非A非B型肝炎ウイルスの抗体検査に利用できる免疫測定法の開発にも成功したとしており、今後、ワクチンの開発に着手する基礎ができたとしている。(後略)」

 発見された病原体は1本鎖RNAウイルスであった。「全面降伏です」、非A非B型肝炎ウイルス探しのライバル日大医学部病理学教室の仕方俊夫教授は語っていた(1988年、5月30日付「毎日新聞」 Scienceリポート)。
 上掲のカイロン社による発表を読むと、いまにもC型肝炎ウイルスワクチンが開発されそうである。しかし、ことはそう簡単ではなかった。

■志方俊夫日大教授に聞く■

  • 1988年6月14日:

 カイロン社によるC型肝炎ウイルス発見の記事を目にして1か月後、志方俊夫教授にインタビューした。

「姿を見せてきた非A非B型肝炎ウイルス―非A非B型肝炎ウイルスは輸血後と流行性の2種類」の見出しを付けて記事を纏めた。週刊医学界新聞・第1808号(1988年8月1日付)にインタビュー内容を掲載した。
 輸血後の非A非B型肝炎ウイルスが、「C型肝炎ウイルス」という名称に、流行性の非A非B型肝炎ウイルスが、「E型肝炎ウイルス」という名称に、夫々変更される過渡期であった。

■平成の幕開け―進むC型肝炎対策■

 1989年1月7日に私は満42歳になった。その日に、昭和天皇が逝去された。昭和が64年で終わり1月8日から平成元年になった。竹下登総理大臣の官房長官小渕恵三さんが「平成」という新元号の「墨書」を掲げたTV映像が今も記憶に残る。

  • 1989年(平成元年)9月8日:

 「検査薬、来月中に導入―非A非B型肝炎で方針(厚生省)」の見出しを付して、同年9月8日頃の朝日新聞には次のような記事が掲載されていた。

 「厚生省は七日、米国の生命科学研究社・カイロン社が開発した非A非B型肝炎の診断検査薬を、十月中に全国七十七の日赤医療センターに研究用として導入、同型肝炎ウイルスの混入した献血血液を輸血用血液などから排除するスクリーニングに着手することを決めた。(後略)」

カイロン社が開発した「非A非B型肝炎ウイルス」の検査薬の導入により、輸血用血液からの非A非B型肝炎ウイルスは排除されることができた。わが国における輸血血液対策は、日赤医療センター血液部の西岡久壽彌副所長が厚生省管轄下で先導して進めていた。

 「輸血後肝炎―高率で予防可能に―日赤医療センター副所長ら研究―検査薬で早期発見」という記事が、同年9月23日(頃)の朝日新聞に掲載されていた。「輸血後肝炎の大部分を占める非A非B型肝炎は毎年十九万人の患者が出ているが、その多くを予防できる可能性が開けた。日赤中央血液センターの西岡久壽彌副所長らの研究で、非A非B型の四分の三は、開発されたばかりの米カイロン社製検査薬で感染の有無を知ることができるC型であることが分り、ウイルスに感染した輸血用血液を除ける見通しがたったからだ。」

 わが国のⅭ型肝炎ウイルスに関して輸血用血液対策は迅速になされた。一方、同じくRNAウイルスの一つエイズウイルス、すなわちヒト免疫不全ウイルス(HIV:Human Immunodeficiency Virus)に対する血液対策は遅れをとった。

(2018. 9.27)

(「私のC型肝炎物語」 第2章: 非A非B型肝炎ウイルス(NANB)からC型肝炎ウイルスHCV))へ―〔2〕 HCVの発見―米国カイロン社: 1988年)