TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」たちの肖像― (4) 西岡久壽彌さんと非A非B型肝炎ウイルス

 

(77) 私の「医人」たちの肖像― 西岡久壽彌さんと「インタビュー「急ピッチで進む型肝炎対策」 ~1990年1月24日

C型肝炎ウイルス(HCV)が、血液を媒介として感染することが分かると、喫緊の課題はその防止対策だった。それに迅速に対応したのが、東京広尾の日赤医療センター血液部長(副所長兼任)の西岡久壽彌さんだ。西岡さんが、カイロン社が開発した検査薬のわが国への導入を厚生省に働きかけ、逸早く献血血液の安全が保たれた。

  • 1990年1月24日(水):
    ■西岡久壽彌さんに聞く■

1990年1月24日(水)。出張校正の後で、夕方の17時から18時30分くらいまで、広尾の日本赤十字社医療センターにおいて、西岡久壽彌先生にインタビューした。この時は、上司のMMさんと後輩のMN君が一緒だった。
 「急ピッチで進むC型肝炎対策(西岡久壽弥)」として、インタビュー内容を、医学界新聞・第1886号(1990年3月6日付)に掲載した。数年前まで、非A非B型肝炎と称されていた血液を媒介とした肝炎が、「C型肝炎」と名称変更されて全貌が明らかになった。そして、米国の生命科学会社カイロンの開発したC型肝炎診断薬が、全国七十七の血液センターに導入された。

■気骨のある医学・医療人■

「気骨のある医療人」というのが、西岡さんに対する私の印象だ。派手さはなく朴訥とした語り口の堅実な研究者の風貌だ。三重県の医家の子息で、お姉さんも弟さん(西岡久寿樹)も医師だ。日赤の前は、国立がんセンターや東京都臨床医学研究所におられた。B型肝炎ウイルスの研究(オーストラリア抗原)他の研究で著名だった。その頃は、非A非B型肝炎ウイルスを追い求めていたのだ。

  • 1998年8月:
    ■8年後C型肝ウイルスキャリアと判明■

この時から8年後の1998年(平成10年)8月に、東京逓信病院の人間ドックにおける血液検査で、私は自らがC型肝炎ウイルスのキャリアであることを知った。1988年~1991年頃に西岡さんに時間を割いてもらい何回もお話を伺った。自分が追い求めていた「C型肝炎ウイルス」を、自ら体現することになることは夢にも思わなかった。この頃の取材活動の中でC型肝炎ウイルスに感染したのであろうか?このウイルスは血液を媒介とするのであるが、それ以前に輸血はもちろん出血するような怪我をしたこともなかった。

これ以前にも、エイズHIV)ウイルスについて、そして非A非B肝炎ウイルスが米国カイロン社により明らかにされた折にも、西岡さんにインタビューしたことがある。
 (2019.4.23)

(私の「医人」たちの肖像― 〔71〕 西岡久壽彌さんと「急ピッチで進む型肝炎対策」 ~1990年1月24日)