TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」たちの肖像―(24) 宮田親平さんと日本医療ジャーナリスト協会

(24) 私の「医人」たちの肖像― 宮田親平さんと日本医療ジャーナリスト協会

 

  • 2018年12月18日:

   日本医療ジャーナリスト協会のメーリングリストで、宮田親平さんが12月18日(火曜日)に亡くなったと知らせてきた。肺炎で死去、87歳。
 12月21日(金)に中野の日本同盟基督教団中野教会で葬儀が開かれることも知った。お別れに行くことも考えたが、自らの体調(腰痛)を考慮して断念した。

   ■医学ジャーナリストの先駆者■

   宮田さんのことは、『科学者たちの自由な楽園―理化学研究所』の本の著者として知った。この本は理化学研究所の創立の頃のことが書いてあとても興味を惹いた。
 立身の志をいだいて長岡の田舎から上京した少年田中角栄氏が理化学研究所で働きながら夜学に通い学び若くして起業していく道程も書かれていた。
 1980年代の終わり頃、当時勤務していたI書院の「週刊医学界新聞」を宮田さんに送るように手配をした。その頃に日本医学ジャーナリスト協会の会員に私はなった。宮田さんは同協会の役員をなさっていたと思う。
 2011年の1月にI書院を退職して新年賀詞交換会でお目にかかり少しお話をした。『科学者たちの自由な楽園』をとても興味深く読んだと申し上げたところ、直ぐに『毒ガス開発の父ハーバー』を郵送にて恵贈してくれた。
 今回の訃報の記事で宮田さんは元週刊文春編集長を務めた経歴を初めて知った。このブログを記述するために朝日新聞朝刊(20日)の訃報広告を読んだ。なんと宮田さんの記事の一つ先に伊藤正男さんの訃報が載っていた。同じく2018年12月18日に伊藤正男さんは90歳で老衰にて逝去された。
 凡そ10年前の2008年に、K財団発行の雑誌『生体の科学』の編集会議で時折お世話になった。伊藤さんについては別建てで改めて触れたい。
 様々な形で日本の科学・医学を支えて推進してきた「医人」たちがその一時代を通り過ぎて行かれた。ご冥福をお祈りする。
 (2018.12.22)
(私の「医人」たちの肖像―〔24〕 宮田親平さんと日本医療ジャーナリスト協会)