TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」たちの肖像―(26) 金澤一郎さん①とハンチントン病のGene Markerの発見とその周辺 ~1984年3月14日(水)

(26) 金澤一郎さん①とハンチントン病Gene Markerの発見とその周辺~1984年3月14日(水)

 

   1984年3月14日(水)。従事していた「週刊医学界新聞・第1592号の校了日で、港区新橋の大日本法令印刷へ行った。
ニューロサイエンス特集
1984年3月14日(水):
 医学界新聞・第1592号のバックナンバーは手元にないが、タイトルを見るだけで充実した内容が思い起こされる。ニューロサイエンスの特集号である。この号も、当時一緒に担当していたSH君の企画であった。
 「ハンチントン病のGene Markerの発見(金澤一郎)」、「ハンチントン舞踏病の病理とその問題点(小柳新策)」、「神経科学領域のラスカー賞受賞(1983)①Eric R. Kandel博士(塚原仲晃)、②Vernon B. Mountcastle 博士(酒田英夫)」という紙面建てだった。
ハンチントン病のGene Markerの発見■
 最近(2012年)の医学界新聞(第3000号特集「私と医学界新聞」)の中で、「記憶に残る医学界聞」として、金澤さんご自身が「ハンチントン病のGene Markerの発見」のテーマで執筆したことをあげている。このブログを書くにあたり、東大医学図書館に「医学界新聞」の合本を閲覧に行った。第1592号は欠番であった。読みたいがために誰かが持ち去ったのだろう。
若い執筆者たちの肖像
 金澤一郎さんは、この頃、筑波大学医学系・神経内科助教授(教授は中西孝雄先生)であった。金澤さんは、後に筑波大学教授から東大教授(神経内科)を経て、国立精神・神経センター総長、等を歴任された。
 小柳新策先生は、新潟大学脳研究センターの生田房弘先生門下で、新進の神経病理学者であった。1983年のラスカー賞受賞の二人―KandelとMountcastleは、神経系の情報伝達に関する発見の業績により、2000年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。塚原仲晃先生が、この5カ月後1984年8月12日、御巣鷹山への日航機の墜落で急逝したことは既に触れた。
 酒田英夫先生には、この後、1993年に私が医学雑誌部に異動してから、雑誌「神経研究の進歩」の編集会議等で随分お世話になった。2000年台の終わり頃、酒田先生のご母堂の教会における告別式に、雑誌の担当者MKさんと二人で参列した。酒田先生は、東京都立神経研究所(都神経研)から日本大学教授(生理学)に就任された。酒田先生は2013年にお亡くなりになったことを最近知った。酒田先生が都神経研におられた折に、泰羅雅登先生が同じ研究室におられた。泰羅先生は、酒田先生と一緒に日大・生理学教室に異動され、酒田先生の後任教授(生理学)に就任された。
 後日談になるが、先週(2014年11月6日)に有楽町の朝日ホールで、「第20回咀嚼と健康ファミリーフォーラム」という講演会があり参加した。「脳を健やかに―健やかな脳とは、食べるとは―」のテーマで、泰羅先生が講演されたのを拝聴した。泰羅先生は、日大の生理学教授から、母校・東京医科歯科大学教授(医歯学総合研究科認知神経生物学分野)に異動されていた。
 今回は、金澤一郎さんに寄稿頂いた「ハンチントン病のGene Markerの発見」と、その周辺に触れた。実際に、金澤さんに初めて会ったのは1985年であった。医学界新聞の記者になって4年目、座談会「神経科学の近未来」の企画相談のためであった。その頃、金澤さんはスポーツ刈りで豪放磊落かつ繊細な風貌であった。この時から3年後1987年に、「神経学」をテーマとする座談会を、金澤さんの司会で収録して、医学界新聞で紹介した。この座談会についても別途触れる。
皇室医務主管の金澤さん
 この時から6年後の1993年、医学界新聞担当から医学雑誌部に私は異動した。そこで、神経系学術雑誌「神経研究の進歩」の編集会議で、編集委員のお一人であった金澤さんと再会した。金澤さんは、2002年~2014年まで皇室医務主管も務めていた。編集会議でお目にかかった金澤さんは、濃赤色のネクタイを好んで締めていた。ある日のこと、ネクタイが少しヨレヨレに見えた。神経学という繊細な研究領域にいながら気さくで飾らないお人柄であった。
 金澤一郎さんは、3年前の今日(2016年1月20日)に逝去された。金澤先生の履歴と業績について、雑誌「臨床神経学」(56巻3号、2016)に、葛原茂樹さん(三重大学名誉教授)が、詳細かつ心温まる「追悼文」を書いておられているのを拝読した。
 シリーズ私の「医人」たちの肖像は、一編集者から見た回想記である。学問研究の詳細には言及できないので、その周辺に触れた。
(2019.1.20)
(私の「医人」たちの肖像―〔26〕金澤一郎さん①とハンチントン病のGene Marker の発見とその周辺 ~1984年3月14日)