TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「私のC型肝炎物語」 第1章: マヴィレット治療への挑戦ー(14) 開始6週間目:効いてきた!

(14) 「私のC型肝炎物語」第1章:マヴィレット治療への挑戦― 服薬開始6週目:効いてきた! 

 

■マヴィレット6週目■

  • 2018年4月5日(木)~4月11日(水):

(36) 4月5日(木曜日):服薬は7時48分。起床は6時45分。朝食は7時20分~7時45分。朝からどんよりと曇っていた。10時30分頃にY子と若葉台の郵便局へ歩いて行った。次女YにRちゃんの忘れ物を郵送するのと、年金機構へ振り込み口座変更手紙を投函した。Y子が衣服の専門店コルモピアで品物を見ている間に、私はヤオコーで買った弁当(390円)を先に一人で食べた。12時30分頃には帰宅した。Y子は自宅に帰ってから饂飩の昼食を食べた。私だけが13時30分~14時30分頃まで昼寝をした。

本日は朝から身体が重かった。3月31日~4月1日と2泊3日のドライブ旅行の運転の疲れだろうか? 本日で服薬は36日目である。身体上の副作用のようなものは感じられない。しかし気分の落ち込みはある。

4月の山の会(4月12日)の行く先を、御殿場線山北駅から「洒水の滝」へのコースに決定した。はるひ野発8時40分、新百合ヶ丘8時52分、新松田に9時51分着、松田発10時7分で山北駅に10時15分に着く。歩行は3時間半くらいなのでなんとか頑張って実行したい。

(37) 4月6日(金):起床は7時00分。朝食は7時50分~8時00分。服薬は8時02分。予報通りに朝からどんよりと曇っていた。朝食後に庭の植木鉢の植え替えと庭の草むしりをした。8時30分~10時15分位までかかってしまった。昼には生ラーメンを作って食ベた。そのあと14~15時30分頃まで、「私Ⅽ型肝炎物語」更新を行った。本日は春の強風が吹いていたのでY子との散歩を断念した。

■過去の失敗を想起しこころ乱れる■

2015年4月7日~6月末までのメルク・シャープ・ドーム(MSD)の治験に参加した経過をメモに基づいて書いた。激動の2015年の序曲であった。2015年6月27日に母が亡くなった。そこに至るまで5~6月は義母が入退院を繰り返していた。5月には九州(福岡、佐賀、長崎)旅行に行っている。2015年7月2日に義母の告別式を行い、その翌朝7月3日の早朝に王禅寺の旧宅でY子が倒れたのだ。この前後もMSDの治験は続いていてY子が横浜総合病院でリハビリに入る頃、8月4日に私のHCVの再燃が確認された。

2016年10月~2017年1月3日までインターフェロンフリーの新薬(「ハーボニー」)治療に挑戦していた。これも終了後2週間では再燃となった。

そして今回、2018年3月1日からマヴィレットの治療を実行している。2015~2018年(4年間)はインターフェロンフリーのHCV治療を中心に私の日常は動いている。しかし、「これは一体なんだ!」と、憤りの気持ちも拭いきれない。

(38) 4月7日(土):午前6時に三度目のトイレで目覚めた。そのあとベッドのなかでストレッチをしていると再び眠ってしまった。起きたのは7時20分位であった。シャッターを開けると朝陽が入ってきていたので気分が明るくなった。朝食の用意を途中から引き継いだ。午前8時~8時20分の間、いつもの野菜サラダを食べて、ミネストローネを飲んだので、コーヒーを飲まなかった。9時~10時15分にかけてトイレ掃除と庭の植木鉢の植え替えを行った。終わったら10時15分になっていたので一休みして直ぐに昼食の用意をした。昼は冷凍うどんとカボチャのコロッケ、ばなな1本で済ませた。15分くらい横になって休む。

合気道の稽古で復活■

12時に家を出て12時14分はるひ野発で新百合ヶ丘へ行く。13時から合気道の稽古に参加した。後ろ手首とり、後ろ両肘とりの各種の技の稽古をSさんの指導でした。本日も合気道の稽古に行く前は気持ちが落ち込んで乱れていた。約1時間半の稽古の後で漸く心の統一がとれてきた。先週の4月1日(日)は箱根旅行で、4日(水)はJたちが帰った日なので稽古を休んだ。本日は10日ぶりの稽古であった。ここ1週間は身体が重かったのは合気道の稽古をしなかったためかもしれない。

(39) 4月8(日):午前6時に起きた。昨夜からPASMOが入れておいたはずのウエストポーチの中になかった。探し出すのに多くの時間とエネルギーを必要とした。結果的には合気道の稽古着を入れる鞄の中から出てきた。本来ありえない場所なので、稽古着と袴を取り出すときに偶然に落ちたとしか考えられない。PASMOの紛失は今年になって三度目である。二度目はコートの右ポケットに入れてタオルハンカチか手袋を出すときに落としたのであろう。今回も帰宅時に直ぐ所定のかばんの中に戻しておけば今回のような騒ぎにはならなかった。物を落とすということは合気道で言う「残心」の不足である。武道を志すものとしてあってはならない。

美輪明宏の「デビット・ピアフ物語」を観る■

本日は懸案であった美輪明裕の「愛の賛歌―デビット・ピアフ物語」を観るために、「新国立劇場」へ行く日である。予定通りに11時25分位に家をでて若葉台駅まで歩いた。11時53分発の区間内急行本八幡行きに乗った。乗換なしで初台まで行くことができた。12時40分頃には初台に到着して、直に国立劇場の2階のレストラン「マエストロ」に行く。しかし、予約をしてなかったのでレストランに入れなかった。仕方がないので、オペラ劇場の方に行った。地下1階で、レストラン「サボテン」で豚カツを食べた。食後に時間があったので2階の熊沢書店で文藝春秋(4月号)を購入した。14時頃には、新国立劇場に戻った。席は1列の69,70であった。2階席の一番前だったので結構見易い場所であった。「愛の賛歌―デビット・ピアフ物語」は美輪明宏が45年前の初演から継続しているものだと知った。フランスの国民的なシャンソン歌手ピアフの自伝を忠実になぞった傑作である。美輪明宏の作、演出、自演である。美輪明宏のエネルギッシュな声量に圧倒された。美輪は1935年5月生まれで、既に83歳という年齢も驚きである。今回の国立劇場の公演の幕開けは3月31日だったので既に9日目ある。その迫力とエネ、ルギーには文字通りに圧倒された。

本日でマヴィレット服薬の39日目が経過した。昨日、10日ぶりに稽古をしたためか、身体の調子はむしろ良かった。食欲はあり過ぎるほどで、昼も豚カツの際にご飯とキャベツの御代わりもした。少し多すぎるくらいである。4月8日(本日)は母の誕生日であった。母は明治45年生まれだから生きて居たら107歳くらいだろうか?

■料理教室の最終回■

(40) 4月9日(月):午前6時58分頃に起きた。何時もの野菜中心の朝食の後、服薬は8時27分位であった。本日は町田のベターホーム協会の料理教室の最終回である。9時過ぎに近藤石材店に電話。「お墓の掃除を済ませたので、管理契約に至る前の初期掃除の見積もりを出すための現場確認をして欲しい」旨を依頼した。上記の電話のために少しで遅れて9時5分頃に家を出た。9時12分はるひ野駅発に乗る予定であったが乗り遅れてしまった。午前9時47分頃には町田に着いて、9時52分頃には料理教室についた。

本日の最終回は「筍ご飯、ひじきの千草和え、鶏挽肉つみれ」の三品であった。この1年間で学んだことは、料理は根気であり丁寧に作ることと見た目も美しく盛り付けることが肝心である。日本料理の味付けは、砂糖、塩、醤油、みりん、酒くらいで、レシピ通りに行えば大体はOKである。要は回数を重ねることではないだろうか?今回が最終回なのでカードにポイントが溜まっているとのメールがきていたので調べて貰った。結果として700ポイント(700円分)あると判ったので今回の料理教室「和食の基本手技」のサブテキストである「和食の基本」(1400円)を購入した。12時35分頃に終了したので、三菱UFJ信託銀行の町田支店に立ち寄った。帰りに、はるひ野のクリシマでキャベツ、鮭他を買ってから、14時過ぎに帰宅した。14時30分~15時40分頃まで仮眠をした。土曜日に合気道の稽古に参加したので身体は回復してきている。しかし、本日も料理教室で作業をしながら眠気が襲ってきた。もしかしたら、「倦怠感」という副作用のためかもしれない。夕食は、庭から採取した「のらぼう菜」のお浸し、キャベツ、トマトを添えて、鶏肉の唐揚げと、豚肉の焼いたものを食べた。

(41) 4月10日(火):起床は6時20分。朝食は7時~7時35分。服薬は7時37分位であった。本日は久しぶりに若葉台の英語に参加した。近田さんがフランス旅行中なので自主クラスに8名が参加した。12時30分頃に帰宅してインスタントのナンとカレーの昼食にした。妻のY子は一人で新百合ヶ丘アルテリオ映像館に映画を見に行った。モーパッサンの「女の一生」だった。天気は風が冷たくて余りよくはなかった。昼過ぎに郵便が届いて平成30年度の固定資産税の納入通知書が届いた。多磨霊園の近藤石材店から年間管理料の見積請求書が届いた。

本日はマヴィレット服薬40日目。体調に変化はない。朝の血圧は133/75/70であった。血圧の問題はないだろう。

(42) 4月11日(水): 起床は6時50分。朝食は7時40分~7時55分。服薬は7時56分位であった。

本日はマヴィレットの処方4回目の東大病院受診日であった。午前5時頃に三回目のトイレで目覚めた。そのあとまた眠り6時58分位に起きた。何時ものように温野菜中心に、7時40分~55分位に朝食を摂る。服薬は7時56分だった。出発の準備をゆっくり行い、8時28位に家を出た。予定の電車に間に合わず8時40分はるひ野駅発で出発した。新百合ヶ丘から8時57分の急行に乗り、代々木上原と国会議事堂で乗り換えて本郷三丁目に9時58頃に到着した。東大病院受付は10時6分.採血は10時18分位であった。

■薬が効いている―肝臓関連が正常化■

本日から主治医が浅岡良成先生から中川勇人先生に替わった。診察予約は11時30分だったので2階の受付で文藝春秋4月号を読んでいた。この間も気分は最低の状況であった。11時40分頃になっても呼ばれないので看護師さんに中川先生の診療状況を聞くと、さらに7名待っていると判った。結局、中待合室への呼び出しベルが鳴ったのは12時30分頃であった。

中川先生は、私が東大消化器内科でC型肝炎治療を始めてから三人目の主治医であった。最初が小俣政男教授、次が今村潤先生、その次であった。アメリカに留学するので4人目の新屋先生に引き継いで行かれた。その次が浅岡良成先生なので、5人目で再び主治医になって貰った。「お久振りですね!」という挨拶をされたので先生も、私が元の患者だということを認識していた。中川先生の診察は5分で終了した。血液検査の結果はAST、ALT、γGPTが、26、21、27であった。正直にほっとした。マヴィレットは効いているようだ。前回と比べると、ALTは17から21に上昇。ASTはまったく同じで21だった。前回、3月13日採血によるHCV-RNAの検査結果も出ており、「ケンシュツセズ(再検査)」と記載されていた。つまり、3月1日~3月13日の最初の2週間で効果は出ていたのだ。2015年に飲んだ「グラジナ・エレルサ(MSD社)」の治験の時も服薬2週間で劇的に効果がありAST、ALTは正常値以内に戻っていた。したがって、楽観はできなのだがとにもかくにもマヴィレットは効いてくれた。

本日は4月11日なので3月13日から4週間は薬が効いていると判断してよいだろう。次回の診察日の4月25日で8週間経過となる。ここで一応の判断ができるかもしれない。なんとかマヴィレットが効いて、このままウイルスが消えてくれて再燃しないことを祈るばかりである。

(2019.1.18)

(「私のC型肝炎物語」 第7章: マヴィレット治療への挑戦―〔14〕 服薬開始6週間目:効いてきた!)