TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」たちの肖像ー(49)三浦謹一郎さんとインタビュー「たんぱく質工学への期待」~ 1986年3月11日(火)

(49)三浦謹一郎さんとインタビュー「たんぱく質工学への期待」~1986年3月11日(火)

 

 1986年3月11日(火)。午後、東京大学工学部の三浦謹一郎先生にインタビューをした。「たんぱく質工学」がインタビューテーマだった。このテーマは、1986年第1号に掲載したグラフ「生命の言語―DNAを見る」の延長であった。
■たん白質工学とは何か■
●1986年3月11日(火):

 たんぱく質工学(プロテイン・エンジニアリング)という言葉が、その頃、バイオテクノロジーの研究者や企業で、脚光を浴び始めていた。たんぱく質工学とは、生物につくれないたんぱく質を人工的に作ろうという試みだ。遺伝子工学に次ぐ生命技術と期待されていた。医学界新聞の取材対象としては些か広すぎる嫌いもあったが、私には興味があった。
 「たんぱく質工学への期待―三浦謹一郎氏に聞く」として、収録したインタビューを、医学界新聞・第1704号に掲載した。「蛋白質工学による酵素の人工改造(礒晃二郎)」という関連記事を同じ号に掲載した。さらに随時掲載していた<Holo-Scope>というコラム欄に、「生命の起源―RNA説について」という論説を、渡辺公綱さん(東大工学部)から寄稿頂いた。
 今から見てもかなりマニアックな紙面構成だ。この頃から分子生物学に関心をもっており、世界的に緒についていたヒトの全遺伝子構造解明の動向にも注目していた。
■日本の分子生物学の先駆者の一人
 三浦さんは、1931年3月25日、東京生まれ。2009年9月21日に、虚血心疾患のため78歳で逝去された。国立遺伝学研究所教授、東京大学工学部工業化学教授、等を経て1991年東京大学を定年退官。1991年4月1日~1993年3月31日まで日本分子生物学会会長。2001年4月、日本蛋白質科学会会長。株式会社プロテイオス研究所取締役社長兼研究所長。三浦謹一郎さんの編集『分子生物学からバイオテクノロジーヘ』(共立出版)という本を見つけた。この本は、三浦さんの東大退官時に開催された講演会の単行本化のようだ。遺伝子解読、ウイルス遺伝子、蛋白工学などについて28名の研究者が研究の現況を語っている。
(2019.3.6)


(私の「医人」たちの肖像―〔49〕三浦謹一郎さんとインタビュー「たんぱく質工学への期待」~1986年3月11日)